カルチャー

2023.11.16 08:30

富山で見た、美醜「二元論」を超えた先にある美しさ

富山県南砺市にある「躅飛山 光徳寺」(撮影=中野香織)

この寺には、世界の民藝品に交じり、そんな棟方の作品も多々、展示されているのですが、民藝と棟方をつなぐ一冊の本も展示されていました。棟方が影響を受けた師でもある柳 宗悦の著書『美の法門』です。
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民藝運動の父と呼ばれる柳 宗悦も、もとはキリスト教神学や西洋近代美術を研究・紹介していました。イギリスのロマン派詩人にして画家のウィリアム・ブレイクに傾倒するあたりから東洋の老荘思想や大乗仏教の教えに関心が向かい、次第に、宗教とりわけ仏教とむすびつく美の世界へと向かっていくことになります。

柳は、無名の職人が作る器物、すなわち民藝品が湛える美しさの本質を、信仰との結びつきのなかで説明するのです。ちっぽけな自力を超えた仏の力、すなわち「他力」を信じ、身を委ねることで作られるゆえに無心の美が生まれ出てくるのだ、と。

民藝思想がそんなに単純なものでなく、棟方志功や柳 宗悦に対する理解もまだまだ表層的であることは百も承知です。ただ、柳が、美や醜の判断といった二元論をはるかに超える俯瞰的な仏の視点で、二元論の対立を超えた感動をもたらす美を語るとき、そこにはやはりこれからのラグジュアリーとの関係を無視するわけにはいかない要素があるように思えてなりません。
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格差を背景とし、非日常的な特別感を謳う権威的なラグジュアリーから、よりフェアで倫理的な、日常に根差したラグジュアリーへと移行しつつある状況と、西洋近代美術から「仏の美」へと理想を移していった柳の思想の動きも、どこかシンクロするように感じています。
(撮影=中野香織)

(撮影=中野香織)

ちなみに、私が講師として招かれたセミナーは「文化的景観」がテーマでしたが、同じく講師として招かれた富山大学の奥 敬一(おくひろかず)教授によれば、文化的景観とは「その地域ごとの風土と、その風土に育まれてきた人々の営みの表現形」。人口減が進みライフスタイルが変化する時代の中でこれを守っていくことはハードルの高い挑戦になりますが、主催者である林口さんは、「新ラグジュアリー」の考え方こそがこの景観を守る武器になる、と私を招いてくださった次第です。

そこで出会った散居村の光景、光徳寺、民藝、棟方志功、柳 宗悦、浄土真宗、他力の思想。壮大な「なぞなぞ」を仕掛けられた気分です。

さて、安西さん、私自身の思考の整理も明確にできていない段階でおそれいりますが、民藝とラグジュアリー、あるいは宗教と美との関係について、さらに考えていくためのコメントをいただくことができれば幸いです。
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文=中野香織(前半)、安西洋之(後半)

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