キャリア・教育

2023.11.11 17:00

パリやミラノに憧れたデザイナー、村田晴信の突破力

中道:どういう作品だったんですか。

村田:当時は3年生で卒業コレクションを作っていました。卒業コレクションはけっこう派手なものや手のこんでいるものが多いのですが、僕は何度もプレゼンをして、たたかれて、直されて、そぎ落とされて、最終的に1枚布のシンプルな服ができたんです。その作品にすごく自信があったのでコンペに出しました。その時に作った服はいま、自分のブランドのベースになっています。

中道:そしてイタリアへ渡られて、イタリアのファッション協会の「NEXT GENERATION」でアジア人として初受賞という結果を出して。そこからミラノコレクションへ。

村田:そうですね。NEXT GENERATIONの副賞が、小規模ですがミラノでコレクションを発表するための支援でした。でも、それよりも、マランゴーニ学院のマスターコース終了後、向こうのブランドで仕事をするのが目的でした。いろいろなブランドに履歴書をもって突撃したのですが、どこにもひっかからなくて。

これはもう何かしらの方法で実力を証明するしかないかなと思っていたら、コンペティションがあることを知って。参加したら勝つことができて。資金面や生産の面などで支援をいただいて、初めてのコレクションを開いて作品を発表しました。それがミラノでの始まりでした。

中道:それがJOHN RICHMONDにつながるわけですか。

村田:NEXT GENERATIONの審査員のひとりがJOHN RICHMONDのオーナーで、うちでデザイナーをやらないかと声をかけてもらいました。

中道:入ってみてどうでした?

村田:オーナーのジョン・リッチモンドさんはバンドもやっていて、会社はパンクロックみたいなテイストで、僕とは真逆で。会社で「違う! もっとセクシーに」と言われたときには、わからなくてゾクゾクっとしました。

でも、刺繍のテクニックとか、イタリアで物をつくっていく方法とか、デザイナーとしての最初のキャリアという意味ではすごくいい経験をさせてもらいました。ただ、自分がやろうとしていることとは違っていたので、同時進行で自分が行きたいと思うブランドで働く可能性も探っていました。

中道:そしてJIL SANDERに行くわけですね。働きたくてもなかなか入れるものじゃないですよね。

村田:これもNEXT GENERATIONつながりで、JIL SANDERでインターンをしているデザイナーがいたんです。僕は彼に履歴書を送り「紹介してくれ」とずっと言い続けていました。彼からの連絡はなかったのですが、ある日突然「俺、辞めるから後釜に推薦しておいたよ」と言ってくれて。彼はメンズの部署でしたが、面接で作品を見せたら「君、メンズじゃないね」と、レディースの席をひとつあけてくれました。
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文=久野照美 編集=鈴木奈央

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