パリやミラノに憧れたデザイナー、村田晴信の突破力

HARUNOBUMURATA デザイナー 村田晴信

日本の企業が世界に出るとき足りないものは何か? そのひとつがコミュニケーション、つまり伝える内容や伝え方だとしたら、どうすれば乗り越えていけるのか?


未開拓の日本の可能性を世界と繋ぐことをミッションとするKitchen & Companyの代表・中道大輔がナビゲートするPodcast「VISION TO THE FUTURE」とForbes JAPANがコラボレート。国内外で活躍する“視点”のあるゲストとともに、考え、発信していく。

Vol.61配信のゲストはファッションデザイナーの村田晴信。村田は、2018年にラグジュアリーファッションブランド「HARUNOBUMURATA」を始動させた。そこに至るまで、イタリア留学、JOHN RICHMOND社やJIL SANDER社でのデザイナー経験と、自らが行動することでチャンスを手繰り寄せ、道を拓いてきた。

中道:今回は、デザイナーの村田晴信さんをお迎えしています。

村田さんは東京都出身。ファッションの専門学校を卒業後、PR会社でのインターンを経てイタリアに渡り、マランゴーニ学院マスターコースを修了。2012年イタリアファッション協会が主宰するコンペティションNEXT GENERATIONにてアジア人として初受賞。同年ミラノコレクションにてデビュー。その後JOHN RICHMOND社、JIL SANDER社を経て2018年独立。ミラノと東京をベースに、ラグジュアリーファッションレーベルHARUNOBUMURATAを始動させています。

たぶん型にはまった考え方をしていたら、こうなっていなかっただろうというキャリアだと思います。どうしてこういうキャリアになっていったのでしょう。

村田:パリコレやミラノコレに憧れて、それを志してファッションの勉強をする学校に入りました。そして、就職活動の時に就職希望先としてコレクションブランドの名前を書きました。そしたら「ふざけないで書いてください」と言われて。いやいや、大真面目だったんですけどね。

学校が挙げていた就職先候補を見たら日本のアパレル企業ばかりで、ああ、この学校では自分が希望するところへは行けないんだなと。自分で何かしらの方法を探して海外に行く必要があると思ったのが、海外に出たきっかけです。

中道:その学校の人たちには世界というスケール感がなかったのでしょうね。そこからどうやって道を切り拓いていったのですか。

村田:神戸ファッションコンテストという有名な留学支援のコンペがあり、それに勝ったら留学できるというので、就職活動をやめて、そっちに全振りしました。「負けたら野垂れ死にだ」くらいの気持ちで。そこで評価してもらえて、「君は作品のテイスト的にもイタリアに行ったら絶対にデザイナーとして伸びる」と、ミラノのマランゴーニ学院に留学させてもらいました。
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文=久野照美 編集=鈴木奈央

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