つらい闘病生活 中学受験前の兄も我慢していた
佐知ちゃんの闘病は、幼稚園を卒園間近の2018年1月に始まり、4度の入院期間は計2年7カ月に及んだ。主に晃子さんが泊まり込み、つらい抗がん剤治療を受けるわが子を支えた。毎月、骨髄液を採取して調べる「骨髄穿刺」は、麻酔の効き目が悪いときには、我慢強い佐知ちゃんが泣き叫ぶほどの痛みだった。
幼稚園の卒園式は、オンライン会議システムを使って参加。小学校は院内学級からスタートした。病棟の友達と会えるのが嬉しくて、佐知ちゃんは抗がん剤の吐き気がひどい時でも、おう吐用の紙バケツを持って出かけた。
治療が功を奏し、一時は「通院で様子を見て、順調なら5年で寛解」と説明を受けて、地元小学校に戻れたが、2年生になって間もなく、骨髄移植が避けられない病状になり、見通しは大きく変わった。
そのころ、正輝さんは、中学受験の準備を求められる時期になっていた。代々が医師の家系で、中学受験は祖父母も望んでいた。家族の支えの下で夜まで塾で特訓を受けるのが「お受験」の定番だが、両親は佐知ちゃんのことで手いっぱい。勤務医の父・正志さんも週末は晃子さんに代わって病棟の付き添いをしており、気持ちの余裕はなかった。
ゲームに没頭して勉強に身が入らない正輝さんに、両親は怒りの目を向けるようになった。
「私たちがこんなに大変なのに、あなたは何をやっているのって……。あの子のつらさに気づいてやれなかった」と、晃子さんは振り返る。
父との口論も増え、取っ組み合いのけんかになったことも。正輝さんの部屋の壁に、大きな穴が空いている。両親に叱られ、むしゃくしゃして殴った跡だ。「あのころは、暴れ馬みたいでした」と、いま私立中学の3年になった正輝さんは振り返る。コロナ禍の一斉休校で友達とも会えなくなった小6の春が、どん底だったという。
白血病の再発「ママ、もう一度頑張ろうね」
佐知ちゃんは移植後の肺合併症で入院し、9月になって告げられたのが、白血病の再発。病室と自宅で、一家全員が悲しみの涙にくれた。その中で、「ママ、もう一度頑張ろうね」と闘志を奮い起こしたのが佐知ちゃんだった。治療に頑張るだけでなく「元気になってからやりたかったことを今やる」という決意でもあったようだ。
体がつらい中でも「今まで我慢してきたのだから」と外泊を強く望み、大好きな自宅で5泊した。本人の希望で、寿司屋、駄菓子屋、コメダ珈琲店にも行った。そして、夢のようなお誕生会を実現させた。
小学校4年になった佐知ちゃんの最期の願いは「おうちへ帰りたい」だった。「搬送途中に呼吸停止する可能性が高い」と主治医は反対したが、夫婦で話し合い「そうなってもいい」と決意した。