岩佐十良(以下、岩佐):小山さんは入浴の精神と様式をひとつの文化として世界に発信しようと思われて、「湯道」を始めたんですよね。遊び心満載のこの企画を思いついたきっかけは何だったのですか?
小山薫堂(以下、小山):京都の老舗割烹「下鴨茶寮」の経営を引き受けたことで、茶人の方々と接する機会が増えたんです。ひとつの芸術や型として昇華された茶道は、ほかの文化・芸術をも引きつける。その場にいる人は四季の移ろいを感じ、自己を見つめ直し、新しい世界と出合う。「道」って本当にすごいなあとしみじみ感じたんですよ。でも、僕は天邪鬼だから、お茶をいまから嗜むのではなく、新しい道を何かつくれないかなと思ったという……(笑)。
岩佐:それで入浴に着目したと。でも「道」をつくるって、すごい発想ですよね。
小山:僕もエライことに手を出しちゃったなと思ったのですが、あるとき、千家十職の樂吉左衛門さんから「湯道が本物の道になるための最も簡単な方法は……、小山さんが死ねばいいんです」と言われ、気が楽になりました。自ら完成させるのではなく、種だけ蒔いて、後を継いでくれる人が1人でも生まれれば、数百年後には道になるかもしれない。それなら死ぬのもひとつの楽しみになるなって。
岩佐:それは地方創生にも共通することですね。僕自身も新潟に移住して19年、宿泊施設「里山十帖」を始めてまもなく9年ですが、それぐらいでは地域や地方なんて変わっていかないです。
小山:僕も地方創生に関わっていますが、持続可能なものにするには、やはり圧倒的熱量をもった人が必要ですよね。だから僕はいつも「何かが動くきっかけや仕組みはつくりたいと思うけれど、僕が汗かいて何かやると思ったら大間違いですからね」と先に宣言している(笑)。
岩佐:僕も「手品師ではないので、不可能を可能にすることは無理」と、自分は単なる旗振り役であることをはっきりさせる。小山 知り合いの映画監督が、「監督がいなくても映画はつくれるんだよ」と言ったんですよ。物語は脚本家が書くし、演じるのは役者だし、撮影はカメラマンが行う。だったらなぜ監督が必要なのか? それは、目標となる精神的支柱、地図の羅針盤的な存在がいないとダメなんだと。
岩佐:我々がきっかけをつくったり、話をしたりすることによって、本気の人が現れる。または目覚めさせると。
小山:種火をつくって、いかにそれを発火させるか。いわば僕たちは吹子のような存在ですね。