30U30

2023.08.21 17:00

トモ・コイズミが20年歩き続けた「憧れの人」に会うまでの道

鈴木 奈央

ファッションデザイナーのトモ・コイズミ(写真=TOMO KOIZUMI)

カラフルで、ボリューミーで、ひと目で「TOMO KOIZUMI」とわかるフリルのドレス。そのデザイナーは、14歳のときにファッションの世界に魅せられ、その道を歩き続け、今や、世界のセレブリティやスタイリストからラブコールを受ける存在となった。

いわゆるハイブランドのように多数の店を構えているわけでも、多数のアイテムを展開しているわけではない。「自分でコントロールできる範囲」を守りながら好きなものを作り続け、小規模ながら影響力をもつという、新たな成功の形を提示している。

今年のForbes JAPAN「30 UNDER 30」で、アドバイザリーボードとして受賞者選出に関わったトモ・コイズミに、現在の自分につながる、10代、20代の話を聞いた。

紆余曲折がありながらも、1本に繋がっていた道

14歳の頃、雑誌で見たジョン・ガリアーノのドレスに魅了されてから、独学で服作りを始めました。雑誌のファッション写真がすごく好きで、デザイナーというよりはファッション誌のエディターか、スタイリストに漠然と憧れを抱いていました。イメージを作り出すことに興味があったんだと思います。

でも、高校は、工業高専の情報科に入学。推薦枠で入れたので、一般入試よりも合理的だと思ったんです。ただ案の定、理系でもなかった僕は授業についていけず、理解してくれていた先生の後押しもあって、1年生の夏休みで中退しました。

その後はバイトをしながら受験勉強をして、1年遅れで幕張の高校に入学。美術系のコースがある学校で、ファッションの授業もありました。最初からそこに入っていればよかった(笑)。でも、その時期に小さな挫折と方向転換をできたという経験は、今も僕の判断基準になっています。

高校時代も引き続き服作りを続け、一般大学の美術科に入学。雑誌の仕事をするにはきっと出版社に入社すべきで、そのためには一般大学を卒業しておくべきだろうという考えからでした。大学ではファッションサークルに所属して、年に1〜2回開催されるショーのために服作りを頑張って。友人の繋がりで、ファッション誌の撮影現場にも出入りしていました。
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当時は、ファッションスナップ系のウェブサイトが流行っていました。僕はよく、自分で作った服を女友達に着てもらっていたのですが、クラブに遊びに行ったときに、彼女がスナップを撮られて。それを見た原宿のショップの方から声をかけられて、僕の服を置いてもらうことになったんです。2011年の6月、大学4年生の時。これを機に、自分のブランドを立ち上げることにしました。

その頃は結構派手な柄のボディコンシャスなドレスを作っていました。数で言うと、実際に売ったのは数十着くらいですが、僕にとっては、自分の作ったものがお店に置かれること自体が、新たな展開につながるターニングポイントでした。
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文=菊地七海 編集=鈴木奈央

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