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2023.08.21 17:00

トモ・コイズミが20年歩き続けた「憧れの人」に会うまでの道

鈴木 奈央
在学中にリーマンショックがあり、社会がダメージを受けているのを見ていたので、大企業で働いてもリスクがあるなら、本当に自分がやりたいことをやってリスクを負ったほうが納得できるなと思い、就職は考えませんでした。思いのほかブランドが回り出していたので、そのまま自営業として活動を続けました。

思い返すと、20代の後半は失敗の連続でした。力をつけようと衣装の仕事を次々に引き受けて、気合いが入りすぎて、求められているものと全然違うものを作ってしまったり。でもそこで、相手が求めているものを見極める力がついた。デザインをやっていると自分の世界に入ってしまいがちなのですが、客観性を持てるようになりました。

レディ・ガガが着用し、NYでファッションショー

インスタグラムが出てきてからは、その活用に力を入れました。作品やセレブリティの着用を発信するだけでなく、一緒に仕事をしたいなと思う方をフォローして、フォローバックされたらDMして、繋がりを広げていく。コストのかからない草の根運動という感じでしょうか。

同世代のデザイナーがショーをやっていたりするのを見て焦ることもありましたが、「いいものは常に探されている」という感覚があったので、他にはないものを作り、それを地道に発信し続けました。

そうこうしているうちにだんだんと、色々な方からお声がけをいただく機会が増え、ご縁ができて、仕事に繋がるようになりました。2016年、27歳の時、レディ・ガガが来日した際に僕のドレスを着てくれたことは、とても大きな転機になりました。

Getty Images

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トップスタイリストのケイティ・グランドとの縁も、インスタが繋いでくれました。ケイティの周りの人たちが、僕の投稿に反応してくれて、そこから本人とDMでやりとりが始まって。その1カ月後には、彼女と一緒にニューヨークでファッションショーをやっていました。2019年、30歳の時です。その時のラストルック(ショーのフィナーレで登場する)は今、ニューヨークのメトロポリタン美術館にも所蔵されています。

小さな繋がりがまた新たな繋がりを生み、小さな一歩が一つずつ大きな成果に結びついていく。結果って、すぐには出ないんですよね。

「周囲に流されない」スタンス

ニューヨークでショーをやった直後は、デパートやセレクトショップからの問い合わせが殺到しました。興味を持ってもらえたことが本当に嬉しくて、僕の服を売ろうとしてくれる方々とお会いし、しばらく悩みに悩みました。ショーは、一般的には販売に繋げることを前提としています。でも僕は、たくさん売りたいわけではなかった。自分の意図しないことを周りの圧力で始めるのは違うんじゃないか。いつかやれると確信が持てたときにやればいい。そう思い、最終的にすべてお断りしました。
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文=菊地七海 編集=鈴木奈央

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