ロバートは父、井田勝己の友人。幼い頃からロバートを慕っていた井田にとって、彼との思い出は、創作の原点でもある。
「4歳か5歳くらいのときに、ロバートがニューヨークに帰国するというので何か贈りたいと考えました。それで窪みがある石の破片を見つけてきて、そこに針金でつくったハートを差し込んであげたんです。そしたら『お前、天才だな!』って言われて、すごく嬉しかったのを覚えています」
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果たせなかった約束を取り戻しに
ロバートは井田が18歳のときに亡くなった。大学に入ったことも、画家になったことも伝えられなかったのは、井田にとって大きな悲しみだった。「お前が画家になったら、そのときニューヨークで会おうぜ」
大学を目指しているときに、ロバートとした約束は忘れていなかった。
芸大生になった井田はロバートの肖像を描き始めた。彼に対する執着、想いが大きかったからこそ完成に時間がかかってしまった。しかし、インド旅行のあとにその想いを結実させ、かつての約束を果たすことができるのではないかと考えた。
ただ、その資金を親に出してもらう訳にはいかない。自分の作品を売ったお金でまかないたいと考えていたところ、幸い作品を買ってもらえる機会があった。ニューヨークでは、ロバートの墓参りをし、彼の家族への報告も果たすことができた。
「IDA Studio」を立ち上げ
3カ月ほど滞在したニューヨーク、そしてその次に訪れたロンドンは、井田に新たな刺激を与える場所だった。どちらも日本のアートシーンと比べて、市場が圧倒的に大きく、若くから稼いでいるアーティストが多いことに驚いた。それにアーティストや芸術に携わる人々は、敬意を払われる場面も少なくなく、カルチャーショックを受けたという。
「日本の大学にいて、ある種の固定された価値観の中で生活していたので、頭も硬くなってしまっていました。海外に行ってそういうことから解放されて、本来あるべき自分の“自由な姿”を思い出しました。自分の人生なんだから好きにやればいいんだ、って」