確かに、不人気のバイデンにとってバイデノミクスは、インフラ投資や半導体の国内生産、インフレの抑制、中国株式会社への締めつけといった実績をアピールするのに好都合なのかもしれない。だが、それはたんなるスローガン以上のものでなければならない。言い換えると「帰ってきたアベノミクス」ではあってはならない。
10年ほど前、安倍晋三は、日本経済を再び偉大にするという野心的な公約を掲げて、再び政権の座についた。それから、退陣後の2022年7月8日にあった彼の暗殺を含め、たくさんのことが起こった。
だが、起こらなかったこともある。安倍の2度目の首相在任期間は8年近くにおよんだが、その間、日本株式会社のつくり変えは手つかずのままだった。労働市場の改革、行政の効率化、イノベーションの活性化、生産性の向上、女性のエンパワーメント、東京の金融センターとしての復権といった大胆な計画は、絵に描いた餅になった。
2013年、安倍はニューヨーク証券取引所で大見得を切った。「バイ・マイ・アベノミクス」──世界の投資家たちにそう呼びかけた。そして彼らは買った。同年、日経平均株価は57%急伸した。
その後、買い手たちの後悔が始める。安倍率いる自由民主党は早々に、改革を1つか2つは実現した。2014年、上場企業に対して株主の要望に留意するようにさせたことや、社外取締役を増やしたことだ。これらはいくらかの「配当」をもたらした。たぶん、日経平均のいまの高値(本稿の執筆時点で年初来27%上昇している)にも一役買っているだろう。
だが、そのほとんどにおいて、安倍は経済問題を日本銀行に丸投げした。その日銀は、世界の市場に円をじゃぶじゃぶ流し込んだ。企業の収益は押し上げられた。ただ、これはアベノミクスが実のところ、サプライ(供給)サイドの経済政策だったことを意味する。アベノミクスは日本版の「レーガノミクス」だったと言ってもよい。