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2023.06.23 10:00

短編小説『プラトーの蓄え』矢口泰介

しばらくしてから、匿名で一つの論文が投稿された。それは「長寿物質:プラトーを体内から除去できる仕組み」についての原理的考察だった。

周知の通り、プラトーは、いちど摂取すれば老化が止まり、一マイクログラムでその効果は10年持続する。プラトーは自然に体内から排出されることはなく、プラトーの効果を妨げる物質はないとされていた。じっさい、この数世紀、プラトーの効果が切れたことは、自殺以外ではなかった。

しかし、その論文では「長寿物質:プラトーの効果を無効化し、体内から除去できる方法」が考察されていた。

論文によると、長寿物質:プラトーの除去は(原理上は)かんたんに行える。化学式が続くため詳細は省くが、要するに「プラトー排出用の物質」を摂取すると、翌日には尿として長寿物質は排出されてしまう。こうして長寿命種はあっという間に「短命種」に早変わり、というわけだ。

もしこれが本当なら、プラトー排出用の物質がこっそりと食事等に混ぜられ、摂取したことに気が付かなければ、本人は自分が短命種に戻ったかどうかはわからない、ということになる。

以上のことから、長寿命種にはすでに「第四世代」がおり、ひそかに活動しているのでは?という以下のような憶測が広がることとなった。

・第四世代はすでに長寿にこだわっておらず、長寿命種、短命種などという区別がつかない時代に戻ることこそが人類の幸せだと結論づけている。

・第四世代は、すでに長寿物質を体内から除去する技術を完成させ、長寿命種を短命種に戻すテロ活動を始めている。先の論文が根拠だ。

などなど。

しかし、本当に「第四世代」なるものは存在するのだろうか? この小文の筆者が生きているあいだには、真相は明らかにはならないかもしれない。ご存知のように、長寿命種は何をするにも長考し(短命種の寿命ではとてもではないが付き合いきれないくらい)、結論を急がないからだ。

ただ一つ言えるのは、第四世代活動の噂が出てからというもの、短命種には理解できないほど、長寿命種が少しずつ恐慌しているのがわかる。薬を盛られてはかなわないと、食べ物を口にしなくなり、あわや餓死しそうになった長寿命種もいるらしい(自殺と餓死が長寿命種の二大死因である)。

長寿命種にとってのいちばんの不安は「自分は本当に、今も長寿命種のままなのか?」ということだそうだ。自分の寿命が、思っているよりもずっと、短いのではないか?という不安。それを疑って、保有している分の長寿物質:プラトーを前もって追加摂取してしまおうと、長寿バンクには人が押し寄せているらしい。それにしても、もし薬を盛られてしまえば、一気に排出されてしまうわけだが。

長寿物質:プラトーが見つかって数世紀、「不死」に近いところまで来た人類は、「長寿命種」「短命種」に分かれ、幸福への探索を進めてきた。けれど、いくら寿命が伸びようと、自身の「死」がいつ来るのかわからないことへの不安の前には、人類は平等であったようだ。今回の長寿命種の恐慌は、そのような真理を教えてくれたように思う。

このことを書き終えて、この小文の筆者は今、とても安らかな気持ちである。そのことを記し、小文を終える。


矢口泰介(やぐち・たいすけ)◎1981年生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。現在はMIMIGURIにて組織開発などを推進するコンサルタントとして活動。プライベートで個人ブログ「ヤトミックカフェ」や小説を発表している。

文=矢口泰介

この記事は 「Forbes JAPAN 2023年8月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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