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2023.06.23 10:00

短編小説『プラトーの蓄え』矢口泰介

数世紀を悠に超えて生きつづける長寿命種、中でも政治的な舵取りを担っている人の役割は、現在を過去の歴史になぞらえて捉え直し、未来に向けて最適と思われる決断をすることである。その人自身が、未来を確実に生きているからこそ、「当事者」としての責任を持って、未来につながる現在における意思決定ができるのだ。

この小文の執筆者は、生まれてからこの方、長寿命種の治世しか知らないので比較のしようがないが、かつて等しく「短命種」だった人類は、たかだか100年ほどの寿命(しかも、それはかなり幸運だった場合で、大体の人はそれよりも短い寿命だった)しかないにもかかわらず、政治的な舵取りを行っていた。

当時の政治家たち。彼らは短命種であり、長期的視野も持ち得なかったはずだ。一体、何を根拠に、政治的な舵取りをおこなっていたのだろう? 今では知る由もない。

長寿バンク創設者が取った「自殺」という選択は、今では長寿命種としてあるまじき、無責任な行いだと位置づけられている。長寿命種として生きる選択をしておきながら、飽きたら「はいさようなら」では、人類の幸福、長寿命種の責任が泣いて呆れる、というわけである。

数世紀前には、「優れた人間から優れた人間が生まれる」という野蛮なイデオロギーがまだ存在していた。長寿バンクの創設者は、限られた人間だけに長寿物質:プラトーを投与し、「長寿命種」という人類カテゴリを生み出したわけだが、その時の構想は、この野蛮な思想から発想されたものだった。

すでに現在では、無作為に世界中の人類戸籍から抽出したリストから「長寿命種」となる人間が選ばれる、という形式に落ち着いている。長寿命種となるデメリットも十分に知られている現在では、その形式に異を唱える者はほとんどいない。

長寿命種は、長寿物質:プラトーの摂取によって生まれるものなので、当然ながら遺伝しない。だから、長寿命種の子どもが長寿物質を投与されなければ、当然、短命種である。だから親より先に死ぬ。子どもどころではなく、孫も、ひ孫も、みんな先に死んでしまう。

長寿命種の歴史とは、「誰が長寿命種となり、人類を導く役割を担うのか?」についての意思決定の歴史でもあった。

短命種にとって、誰が長寿バンクのメンバーになるのか、つまり長寿物質:プラトーを投与され、長寿命種になるのかについては、やはり今も議論と関心の的だ。短命種なら一度は、自分が長寿命種になることを考えてみたことがあるだろう。

しかし先に言ったように、長寿命種になるということは、家族や友人といったこれまでの人間関係を捨てることを意味する。捨てるというよりも、そもそも生きる時間がズレてしまうため、一緒には生きられない。長寿命種は長寿命種同士のコミュニティの中で生きるしかない。そのコミュニティがどんなものなのか、次に見てみよう。

3. 長寿命種の世代グループ(第一世代~第三世代)

この数世紀の間に、長寿命種の中に、三つの世代が誕生したと言われている。

「世代」といっても、彼らはプラトーを摂取し続ける限り死なないから、正確な意味での世代交代ではない。「コミュニティ」あるいは「イデオロギーのムーブメント」と表現したほうが近いだろう。ただし長寿命種史の研究において、この「コミュニティ」や「ムーブメント」のことを「世代」と表現しているため、それに従おうと思う。

現在の長寿命種の主流は第三世代だとされているが、これまでの世代の歴史を振り返ってみよう。
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文=矢口泰介

この記事は 「Forbes JAPAN 2023年8月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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