2. 「リベラル・パラドックス」の罠に陥らない
今回の廃案一択派の大敗は「なぜリベラルは敗け続けるのか」の典型例となってしまった。法案審議中、日本の難民保護政策に大変造詣の深い個人や団体の中には、内々に「修正でもやむなしとの意見に同意する」と私に個人的なメッセージをくれた人もいたが、そのような意見を公的に言うことは(私が受けたように)総攻撃の標的になるため「怖すぎてできない」と漏らしていた。要するに「リベラルでないリベラル(illiberal liberal)」というパラドックスが生み出されてしまったのである。
しかしこれでは、そもそも小さい難民保護派サークルが分断され、意味のある結果は望めない。柔軟かつ重層的で効率的な戦略作りに向けて、独善的でない意見交換を正直に行えるような真にリベラルな言論空間が保たれなくてはならない。
3. デモやSNS上の活動という「内輪ウケ」だけで満足しない
今後いつか野党独自法案である「難民等保護法案」を本気で通したいと思う人は、今から毎日でも、今まで与党や維新の党に投票していた、あるいは投票に行っていなかった家族・友人・知人の一人ひとりに対して直接、野党対案の中身のどこが素晴らしいのか説明し、次の選挙では必ず立憲・社・共に投票してくれるよう説得するしかない。それは、ハッシュタグをつけてツイートするよりも、国会前シットインや散発的なデモで既に同じような意見を持つ「仲間」と大声を出して盛り上がるよりもずっと難しいことだが、自分が応援する党への投票者を増やす努力こそ、議会制民主主義において有効に「勇気を出して、声を上げる」ことに他ならない。
4. 「本当に闘っている」のは誰か見極める
メディアやSNSでは、国会審議で目立つ言動をしたり院外シットインに足繁く参加したりする議員が「闘っている」かのようにもてはやされるが、真の政策はそのような形では生まれない。普段から入管や対立政党と腹を割って話し合える信頼関係を構築し、法案提出のはるか前から関係者間で具体的な妥協点を探り合い、外部の目が届かないところでギリギリの交渉を地道に重ねるのが「本当に闘う」ということである。
そして有権者は、政策立案において真に影響力のある議員を見極めて平時から長期にわたって応援するしかない。
日本における難民保護政策の改善へ向けた「本当の闘い」は、これからもずっと続く。しかし今後は二度と、戦略や真の目的を間違ってはならない。難民や避難民という本当に脆弱な立場に置かれた外国人一人ひとりの命と人生がかかっているのだから。
連載:世界と日本の難民・移民問題