しかし、個別案件に基づく弁護士や支援団体の熱意と完全に一体化することが、政権交代を目指す野党第1党である立憲の政治判断として有益だったのか、あるいは維新の躍進に拍車をかけてしまうのか、次の選挙で判定が下されるだろう。また、衆議院で修正案に乗ったら野党法案である「難民等保護法案」が無駄になるという勘違いについては既に書いた通り、修正案に乗ったとしても野党案は参議院でもちろん提出できたし、次期国会以降もいつでも提出できる。他方で、自公・維・国、入管庁、法制局の全てが妥協して本気で修正協議に臨む姿勢があったのは、2023年4月のワン・チャンスだけであった。
このような状況下では、法案を願わくはそのまま通したい入管庁のタカ派は、関係者全員がギリギリ飲めそうな修正提案を出されること(つまり私を含む「修正派」が努めたこと)こそ、最も忌々しく思っていたはずである。
逆に、廃案になる可能性が限りなくゼロに近いのに「廃案一択!」と叫び続け、修正案を一切無意味と叩き潰すことは、政府与党原案を無修正採択に全力で導くことと同じ効果をもたらしていた。某議員の言葉を借りるならば、廃案一択派と入管庁(特にタカ派)の間の「奇跡のコラボレーション」が成立してしまっていたのである。
要するに、いつでも何が何でも反対し続けるのではなく、今回は修正案に乗ることで逆に実質的にも政治的にも大きな実利を獲得できたはずであった。
形勢不利が最初から明らかな場合には、現状確実なレベルで損益を確定させ、損害を最低限に抑えた上で新たな別の戦いに挑む、というのが戦略の鉄則ではないか。とりわけ、政府与党側も真剣に修正協議していた今回のような千載一遇の機会には、野党側も修正案に賛同することをある意味で「人質」に取って、修正案交渉で更に大胆な妥協を引き出す、くらいのしたたかさがあっても良かったのではないか。
難民保護派が今後すべきこと
政府与党法案がほぼ無修正で可決されてしまったいま、難民保護派は今後どうすべきなのか。1.「入管法改悪反対運動」の真の目的とは何だったのか
今回、私が何度も「廃案の可能性は無い」と公に事前警告したにも拘らず、廃案一択派は難民達を引き連れて、総玉砕の方向に全力で突進して行ってしまった。彼らの中には、「衆議院で修正案を蹴ったお陰で、参議院で入管の闇を暴くことができた」と称えあっている人々もいるが、上記の修正案で救えたはずの2000人近い庇護申請者や仮放免の子ども達300人とその親の人生よりも、自分たちの入管糾弾運動の方が大事なのだろうか。
「とにかく敵を攻撃すること、対決すること」が目的なのか、あるいは一人でも二人でも多くの当事者の命と生活を守ることを重視するのか、その見極めは厳然と行わなくてはならない。