2年前と異なり、オリパラも総選挙も(少なくとも当時は予定されて)なく、5月中旬にG7広島開催はあるが、イギリスもアメリカもイタリアも庇護政策では恥部を抱えているため、日本だけに批判の矛先が向かうことはない。確かに、収容所内で新たな死者が出たり、大震災が首都圏を直撃するなどの大惨事があれば廃案の可能性はゼロでは無いが、そのような不幸を望むのは倫理的でない。
このように判断して私は、廃案一択派からも、また法案をできるだけ原案通りで通したい入管庁内のタカ派からも、双方から恨まれることを百も承知の上で、しかしその「悪役」を誰か他人に負わせることは私の良心(と難民政策専門家としての矜持)が許さなかったため、4月21日の衆議院法務委員会で立憲民主党推薦の参考人として与野党双方に修正協議を訴えると共に、具体的な文言修正案を提案した。
立憲の一部議員の大変な尽力もあり、永田町・霞が関の常識ではあり得ないほど大幅な修正案が提示された。より詳しくは次項で説明するが、修正案の内容は、自民党の法務委員会議員が「清水の舞台から飛び降りるような」と表現し、国民民主党の幹事長が「法務省と自民党による相当ハードルの高い譲歩」と感嘆し、与党のベテラン政策秘書が「この修正案は一番法務省が受け入れ難かったはず」と漏らすほど、実質的に意味の大きい内容だった。
ところが、それらの修正内容は「到底不十分」、「完全に無意味」と断じた弁護士や活動家、支援団体からの強烈な圧力と、彼らと心情的に一体化した一部議員に押され、4月27日朝に立憲民主党の執行部(および社民党、共産党)が修正案を全面拒否したため、4月28日に衆議院法務委員会で、維新の会と国民民主党の微修正のみが反映された政府与党案が自公・維・国の圧倒的賛成多数で可決され、5月9日の衆議院本会議でも当然同じ結果となった。
弁護士や活動家、また立憲の一部議員・社民・共産が修正案を蹴った理由の一つは、彼らが独自に策定した「難民等保護法案」を参議院で審議させるためであったが、そもそも修正案に同意したとしても入管法と「難民等保護法案」は根本的に異なる骨格と内容であり、参議院で提出することは何ら妨げられない。
同時に、現在の参議院の議員構成数の下では野党独自法案が可決される見込みは無く、現時点で絶対に通らない野党法案を審議することは、政府与党案によって直ちに実害を蒙る難民や外国籍者の直接的救済には資さなかった。
参議院では立憲・社・共によって法務委員会委員長や法務大臣に対して問責決議案を出すというパフォーマンスはあったが、当然ながら数の論理で全て否決され、結果、参議院でも政府与党案が実質無修正で可決されてしまった。
要するに、一切の妥協を許さない院内・院外の廃案一択派からの圧力に押された立憲幹部が衆議院法務委員会において「修正案にのらない」と判断した4月27日朝の段階で、今回の入管法改正案に関する勝負は既についていたのである。