事業継承

2023.06.05

地域繁栄の裏に名家あり! 経済と文化の原動力「日本の名家50選」

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商業・工業系 服部家

都道府県 東京
主な収入源 セイコーグループ
創業年 1877年

服部金太郎が21歳で東京・京橋に服部時計店を創業したのが始まり。1892年に時計製造工場「精工舎」を設立、柱時計や懐中時計の生産に成功。1969年には世界初のクオーツ時計を発売、業界に革新を起こす。金太郎の孫・服部一郎はセイコーエプソンの初代社長。セイコーエプソンは精密機器業界で特許数トップクラスで技術開発力が強み。

商業・工業系 根津家

都道府県 山梨
主な収入源 東武グループ
創業年 1897年

東武鉄道を中心とする東武グループを一代で築きあげた実業家、初代・根津嘉一郎。実業家や政治家としても腕を振るいながら、美術品の収集にも力を入れた。それを「衆と共に楽しむ」という初代嘉一郎の遺志を継ぎ、2代根津嘉一郎が1940年に財団を創立し、翌年根津美術館が開館した。国宝や重要文化財を含むコレクションを保有・展示している。

工業系 鹿島家

都道府県 東京
主な収入源 鹿島建設
創業年 1840年

鹿島岩吉が江戸中橋正木町で大工店を創業したのが始まり。文明開化期に洋館建築技術を確立し名を上げた。新橋-横浜間で鉄道が開通すると鉄道事業に参入しさらに成長。ほかのゼネコンと比べ幹部に創業一族の鹿島家、渥美家、石川家、平泉家出身者が多く8代目の鹿島昭一までは創業家出身者が社長を務めたが、以降は13代目・天野裕正まで非同族社長。

商業・工業系 福原家

都道府県 東京
主な収入源 資生堂/福原グループ
創業年 1872年/1921年

1872年に日本初の民間洋風調剤薬局として、福原有信が銀座に福原資生堂薬舗を創業。1921年に同社を福原合名会社(現・福原コーポレーション)と合資会社資生堂(現・資生堂)に分離して創業した。福原グループは代々福原家が代表を務めており、現在の社長は有信の曾孫・有一。有信の孫・義春は資生堂の第10代社長・現名誉会長である。

工業系 片倉家

都道府県 長野
主な収入源 片倉工業
創業年 1873年

業者の片倉市助は、座繰製糸(歯車仕掛けの木製の簡単な繰糸の器具による手法)から始め、片倉製糸紡績を立ち上げた。市助の長男・初代片倉兼太郎が片倉組(現・片倉工業)を設立し製糸事業を拡大させ、片倉財閥の基礎を築く。20世紀半ばには日本、そして世界でも有数の製糸企業に。2005年まで片倉工業は富岡製糸場の民間最後のオーナーを務めた。

 商業・工業系 川上家

都道府県 静岡
主な収入源 ヤマハ
創業年 1897年

オルガン修理をきっかけに山葉寅楠が日本楽器製造(現・ヤマハ)を設立。経営危機に陥った際、川上嘉市が1927年に社長に就任。経営合理化や近代的な楽器生産方法を推進し、経営を立て直した。以降、第4代・6代社長でヤマハ発動機創業者である長男・川上源一が1992年に退くまで、川上家がヤマハを経営、事業を楽器から大きく拡大した。

商業・老舗系 岡谷家

都道府県 愛知
主な収入源 岡谷鋼機
創業年 1669年

初代岡谷總助宗治が、名古屋で金物商「笹屋」を創業。農具や工匠具、刀剣類など鉄の加工品を扱う。6代目・岡谷惣助は農閑期の農民を販売員として採用する「季節番頭」制度を編み出す。明治維新後は名古屋で松坂屋の伊藤家に次ぐ資産家として愛知銀行や名古屋紡績の設立に参加した。現在は鉄鋼、機械、産業資材など幅広く事業展開。

商業系 右近家

都道府県 福井
主な収入源 損保ジャパン
創業年 1896年

敦賀港の近くで江戸前期から明治期を通じて日本海の海運業を牽引した「北陸五大船主」のひとつである右近家。近江商人の蝦夷地進出の輸送も担った。北前船の衰退に伴い蒸気船を導入し海運の近代化を進めると同時に事業の転換を図り、海上保険業に進出した。10代目当主・右近権左衛門が損保ジャパンの前身である日本海上保険会社を設立する。
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文=堤美佳子、田野早希子 イラストレーション=スタジオ・ムティ

この記事は 「Forbes JAPAN 2023年7月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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