食&酒

2023.06.17

木桶で酒をつくる「新政酒造」の8代目が、祖父から学んだこと

新政酒造8代目の佐藤祐輔 / 撮影=船橋陽馬(根子写真館)

海外市場での注目が集まる一方で、冷え込みが続く国内の日本酒市場。そこに一石を投じ、業界全体を盛り上げようと奮闘しているのが、新政酒造8代目の佐藤祐輔だ。

秋田で1852年から続く新政酒造は、最古の市販清酒酵母「6号酵母」の発祥蔵としても知られる老舗酒造。2007年にジャーナリストから転身し家業を継いだ佐藤は、生酛(きもと)造りや木桶仕込みといった伝統製法にこだわることで、新政酒造を赤字経営から回復させた。

近年は業界全体の底上げのために、蔵元主体の情報発信活動にも力を入れる佐藤。これまでどんな想いで家業に向き合い、成長させてきたのか。話を聞いた。


会社の敷地内にゴルフの打ちっぱなし?

子どものころは会社から少し離れたところで暮らしていました。ですので、自分が酒造会社の息子として生まれたという意識はなく、「家業を継ぎたい」という思いもありませんでした。

それよりも僕には「作家になりたい」という夢がありました。幼稚園のころから絵ばっかり描いているような子どもでしたので、1人で何かをつくる仕事のほうが自分には合っているだろうな、と思っていたんです。

そんな幼少期に影響を受けたのは祖父です。僕はおじいちゃん・おばあちゃん子だったので。 祖父はたいへんな凝り性で、中途半端が大嫌いな性分でした。たいへんな負けず嫌いな性格だったんですね。

その徹底ぶりは趣味に関しても同じで、僕が生まれるずっと前のことですが、ゴルフ好きが高じてゴルフの打ちっぱなしを、会社の敷地内につくったこともありました。

当時、広大な会社の敷地の半分は、野っ原だったんです。これは木桶を日光に当てて干すためのスペースでした。祖父が若い頃はゴルフの黎明期で、秋田にはあまり練習場もなかったようです。そこで、持っている土地を活用して打ちっぱなしができる場所をつくった。 こうしたかなりスケールが大きいこともやってしまう性格でした。

そんな祖父でしたので、僕が何をやるにしても否定はされませんでした。そのかわり「ちゃんとやれよ」と言われました。だからこそ僕は、子どもの頃からの夢を突き通して「文章を書く仕事で生計をたてたい」と目標を立て、最終的にはその夢を叶えました。
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文=田中友梨

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