欧州

2023.05.26

なぜアムステルダムは、循環経済の先進都市になれたのか?

駐日オランダ王国大使館にて photo by Masato Sezawa

ハルセマ氏が政治の世界を離れた2011年は、SDGsやパリ協定が採択される2015年よりも前の話だ。今でこそサステナビリティと成長は両立できるという見方も一般的となりつつあるが、当時は多くの人々がサステナビリティは成長を阻害する要因として見ていたのだ。

しかし、気候変動や格差といった環境・社会課題が深刻化するなかで徐々に世の中の捉え方も変化し、2015年12月にはEUが最初の循環経済行動計画を公表。同年にアムステルダム市も本格的に循環経済への移行を開始し、現在では循環型都市のフロントランナーとしての地位を確立している。

実際にオランダはEUの中で最も循環性が高い国(34%)となっており、その心臓部を担っているのが首都・アムステルダムなのだ。

オランダの首都・アムステルダム via Shutterstock

なぜ、アムステルダムは循環経済のリーダーになれたのか?

2030年までに一次原材料の使用量を半減させ、2050年までに100%循環経済への移行を実現するという壮大なビジョンを掲げるアムステルダム市は、欧州域内はもちろん世界においても先進的な循環都市として知られており、毎日のように多くの企業や自治体が世界中から視察に訪れる。

アムステルダム市は、なぜ循環経済への移行をリードする存在へとなることができたのだろうか。

ハルセマ氏「政治的な視点から話をすると、アムステルダムはリベラルな都市です。保守ではなく革新派の都市であり、それが政治的な土台を築いているので、人々は喜んで変化を受け入れますし、今ではサステナビリティを都市の核となる価値として受け入れています」

「また、2022年まで4年間市会議員を務めた緑の党出身のマリーケ・ファン・ドーニンクは非常に野心的で、ケイト・ラワース氏をアムステルダム市の公開討論に呼んでくれました。そして、ラワース氏がサステナビリティの実現に向けた新たな手法となる知的な枠組みを作ってくれたのです」

世界的に新型コロナウイルスが蔓延し、人々が雇用や生活への不安を抱えるさなかの2020年4月、アムステルダム市は2025年までの新たなサーキュラーエコノミー戦略に加え、ケイト・ラワース氏が提唱するドーナツ経済の概念を採用した「アムステルダム・シティ・ドーナツ」を公表したのだ。



ハルセマ氏「この動きは国際的な注目を集めました。それまでの議論を整理して構造化し、我々が望む方向に対する政治的支援を獲得する上でとても大きく役立ちました。私が思うに、それらの支援を引き出せた大きな理由は、これがエコロジーやサステナビリティに関する議論だけではなく、社会正義に関する議論でもあったからだと思います」

「それら2つは結びついていました。エネルギー価格が高騰し、アムステルダム市の最も脆弱な市民の暮らしにもネガティブな影響が出ているなかで、環境だけではなく社会としても変化をする理由があったのです。そして、そのコンビネーションが議論を進める助けとなりました」

もともとアムステルダムはリベラルな都市であり、変化に対してオープンな市民意識があったこと。またコロナ禍により貧困の拡大などの社会的課題が顕在化するなかで、環境だけではなく社会的公正の実現も同時に目指す「ドーナツ経済」の考え方が受け入れられやすかったことが、同市の循環経済への移行を後押ししたのだ。
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文=IDEAS FOR GOOD Editorial Team

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