「そう簡単には戻って来られない」と考えていたオフに、浦和から望外のオファーが届いた。復帰を要請したのは、札幌へ移籍する際に何度も話し合いの場を持ち、わがままを受け入れてくれた土田尚史スポーツダイレクター(SD)だった。
しかも、単なるオファーではなかった。土田SDは「実は彼に戻って来てもらうオファーを出したときに、ひとつ約束したことがあります」と交渉における秘話を明かした。
「それは『サッカー人生の最後を締める場所にする、という気持ちでは浦和レッズに戻って来てほしくない』と。とにかくやり切ってほしい。自分の力をすべて出し切るための場所として戻って来てほしい。それであれば帰って来てほしい、ということで(興梠)慎三本人と合意し、実際に戻って来てもらった経緯があります」
前身の三菱自動車工業サッカー部時代から浦和のGKを務めてきた土田SDは、2000年をもって現役引退。翌年にコーチに就任し、2002年からはGKコーチを、2020年からはトップチームの編成や交渉・契約業務の責任者となるSDを務めている。
選手とコーチの関係で、興梠と土田SDは浦和で喜怒哀楽をともにしてきた。旧知の間柄である同SDから、愛着深い浦和で引退したい、というセンチメンタルな思いだけではなく、もう一度、異能と形容されたストライカーの力を発揮してほしいと請われた。
まだまだピッチ上で貢献できると、自らの存在価値を思い出させてくれた土田SDの言葉に心を震わせたのだろう。興梠の覚悟はチームが始動するまでの行動に反映される。
シーズンの開幕直前に都内で開催される、恒例のJリーグキックオフカンファレンス。各チームの監督と選手一人が出席する舞台で、浦和の選手代表として参加した興梠は、プロになって初めて自主トレを敢行したと胸を張りながら明かしている。