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2023.04.28 11:30

月面着陸に挑んだispace、CEOが振り返る13年の歩み

転機が訪れたのは2009年。友人の結婚式で「Google Lunar XPRIZE」出場を目指すチームのメンバーと出会ったのだ。同レースはGoogleが主催で、月面を500メートル以上走行し、高解像度の画像や動画データを地球に送信したチームが約2000万ドル(約26億円)の賞金を獲得できるというものだった。
 
その時点では、まだ袴田の決心はつかなかったが、翌2010年の1月にチームが来日し、イベントを開催。そこで宇宙ロボット研究者である東北大学の​​吉田和哉(よしだ・かずや)教授に出会うと、意気投合し、参加を決意した。

ターニングポイント2 探査車開発に専念することを決める

チームとしての目標はただ1つ。「Google Lunar XPRIZE」での優勝だ。袴田はその目標実現に向けてチームを率いることになったが、「経営者になるなんて考えたこともなかった」という。当時のチームは、袴田と吉田を含め4人。

最終的に袴田が代表として手を挙げたのは「いちばん忙しくないから」という理由だった。「平日の2日と週末の2日を使い事業をやりたい」と勤務先の社長に話すと、快く承諾を得られたという。

「ただ、起業家と言えるほどの覚悟は持っていませんでした。リスクは取らない形で始めたし、失敗しても仕方ないかなという気持ちもありました」

メンバーは次々に集まった。皆がGoogle Lunar XPRIZEでの優勝という明確な目標に向かい、ボランティアとして参加するメンバーも多くいた。土曜日には袴田の自宅にメンバーを集め、2〜3時間、目標と課題について共有した。後にボランティアから社員となった人間もいて、人材採用に困ることはなかったという。
 
一方で、資金調達は門前払いの連続だった。製品もなければ、民間企業で月に行ったという先行例もない。そうしたなかで、どうにかスポンサー企業から協賛金を得ることはできないかと考えた袴田は、実にアナログな策に打って出た。
 
「『スポンサーになってもらえませんか』と大企業の社長宛てに手紙を100通ぐらい書きました。お断りがほとんどでしたが、実際に2〜3人にお会いすることができ、契約をとることができました」


 
この時の契約成立はわずかだったが、後に「あの時の手紙がきっかけ」としてスポンサーになる企業もあったという。
 
しかし、壁は再び立ちはだかる。2013年、ランダー(月着陸船)の製作を進めていた欧州のチームが資金難により解散することになったのだ。
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文=露原直人 撮影=曽川拓哉

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