夏休みにユリアがメキシコに誘ってくれたので、彼女の家に1カ月以上お世話になったのです。彼女の家は、トラックが近くを通ると揺れるし、雨が降るとトタン屋根からの水がすごくて。それをドラム缶にためて洗濯をするような家だったので、最初は大変なところに来ちゃったなと思いました。
ただ、いろいろ話ができるようになると、ユリアの家はメキシコでは普通で、むしろ3食たべられて、奨学金でカナダに留学しているユリアはラッキーな方なのだということを彼女の家族から聞きました。そして、「りんはもっと現実を見た方がいい」と、スラム街に連れて行ってくれたんです。1992年のメキシコシティのスラム街の光景は衝撃でした。
学校に行っていない大勢の子どもが走り回り、大人たちは仕事がなくて家の前に座って空を見ている。これが貧困なのかと。自分は、家があるのも教育を受けられるのも当たり前、頑張って大学に行くのも当たり前だと思っていました。けれど、世界の中で自分は、本当に一握りの、ものすごく恵まれた人間だったのだということに初めて気づいたんです。
そういう恵まれた環境に生まれた人間は、大勢の人たちのために何かしなければいけないのではないかと、漠然とですが、すごく強い使命感を覚えました。それが17歳の夏です。
中道:五感で貧困を感じるって日本人にはなかなかないこと。10代のときのそういう経験は大きいですね。帰国されて東京大学で開発経済を学ばれたのは、メキシコで見た貧困がきっかけですか?
小林:そうですね。開発経済は、発展途上国がどうして先進国のように発展していかないのか、経済学的にひも解いていくゼミでした。
そのゼミの中西徹先生はすごく変わっていて、夏にゼミ生全員をフィリピンのスラムにホームステイさせるんです。現地に行き、現実を見て、彼らの考えや悩み、あるいは希望がどこにあるのかを知り、初めて政策や教育を語れるのだという先生の教えは、私の大きな原体験になっています。
中道:メキシコでの経験とは違ったのでしょうか?
小林:フィリピンで驚いたのは、教育の大切さについて必ずしも腑に落ちていない親がいたことです。無償の学校があっても、子どもが学校に行きたいと切望しても、「学校に行かせても1円にもならない、働かせれば家計のためになる、学校なんか行く意味はどこにあるのか」と考える親が結構いる。その体験から、子どもが教育を受けることがどういう循環を生み出すのかということに思いを馳せるようになりました。
うちの学校で7割の生徒に奨学金を出すという考え方も、この原体験に基づいています。どんなバックグラウンドを持つ子どもでも、等しく教育を受ける機会を担保し、どんな子にもチャンスがある世界を実現する。それが教育の大きなフォースだと考えるからです。