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2023.04.15 08:30

「9割はやればわかること」渡米して気づいた日本人の弱点

(上)河田剛(下)中道大輔

(上)河田剛(下)中道大輔

日本の企業が世界に出るときに足りないものは何か。そのひとつが“クリエイティビティ”だとしたら、どうしたら乗り越えていけるのか。Kitchen & Companyの中道大輔がナビゲートするPodcast「VISION TO THE FUTURE」とForbes JAPANがコラボレート。国内外で活躍する“視点”のあるゲストとともに、考え、発信していく。

Vol.33配信は、スタンフォード大学アメリカンフットボール部のコーチ、河田剛がゲスト。アメリカンフットボールの道に進んだきっかけ、外から見た「日本の教育とスポーツ」について聞いた。



中道:今回は、はるばるカリフォルニアからジョインしていただいています。スタンフォード大学フットボールコーチ、河田剛さんをお迎えしてお届けします。

河田さんは、1972年埼玉県生まれ。城西大学でアメリカンフットボールを始め、95年からリクルートシーガルズ(現オービックシーガルズ)で活動され、選手として4回、コーチとして1回、日本一を達成。1999年、第11回アメリカンフットボールワールドカップ優勝メンバーです。

引退後、2007年に渡米されてスタンフォード大学アメリカンフットボールでボランティアコーチとして活動を開始。2011年に正式採用され、現在はコーチ業のかたわらシリコンバレーで15年培った人脈を生かし、日米双方のスタートアップのサポートやアドバイザーを務めています。

オービックシーガルズで日本一を達成されていますが、トップに立つのは並大抵の努力ではできないと思います。どんなマインドだったんですか。

河田:僕は、大体のスポーツは数字がものをいうと思っています。100回やると何回それが起こるのか、シチュエーションごとに分析していくとそれが戦略になります。そういう意味で言うと、競技人口が少なくて、自分が成績を出しやすいアメフトをチョイスしたことが一番良かったのかなと思います。大学時代は休みもあまりないなか、とにかくがむしゃらに練習していました。

それがリクルートの企業チームに入ってみると、アメリカ人のコーチがいて、見たこともないような芝生の上で、大学時代やっていたアメフトと同じとは思えない、似て非なるスポーツが繰り広げられていたんです。アメリカに来たら来たで、そこも全く違うスポーツで。

Grindstone Media Group / Shutterstock.com

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中道:アメリカ人のコーチの影響は大きかったですか。

河田:指導者というのは、こうやってみんなの努力を重ね合わせて勝利に導くものなのかと、初めて知ったというか。今思えば、自分は指導者になりたかったのかなという感じがします。

中道:その後、1999年に第1回ワールドカップで優勝され、2007年にアメリカへ行かれます。その間の約10年間はリクルートですか?
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文=久野照美 編集=鈴木奈央

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