遠山:いえ、ピクニックっていうとお気楽な感じもするけど、呼ばれないと参加できないので結構厳しいものです。
尾和:一人でやっても、ピクニックではなく、日向ぼっこになってしまいますものね。
遠山:日向ぼっこも悪くないけれど、仕事の場合、呼ばれないと落ちこぼれてしまいます。先ほど話したように、呼ばれるのを待つのではなく、自ら仕掛けるという方法もあります。その場合も、「自分のピクニックにみんな来てくれるかな」と不安になるし、「自分の価値って何だっけ」と考えざるを得なくなります。
企業においても、「うちはピクニック紀におけるピクニック的な企業価値を内包しているか」「 2万人の社員が幸福であることを実現できているか」「自分たちのプロジェクトは世の中に対して豊かさを本当に提供できているか」といったことが普通に問われるようになるでしょう。
尾和:芸術家のように、多くのビジネスパーソンも自己表現と価値が一体になるように、生きることと働くことが同じものになれば、ワクワクしたり感動したりする時間が多い、豊かな時代になりそうですよね。
AIを鏡として、自分の存在意義を考える
尾和:豊さとか幸福の漠然としたイメージは持っているけれど、自分の豊さや幸福を明確に定義できている人はあまりいないと思います。企業の存在意義を抽象化すると、世の中を豊かに、より幸せにするというところに収束するじゃないですか。でも、それが自分たちにどういう意味があるのかを言語化できている企業は少ない気がします。これはChatGPTのようなAIでは出てこないことですよね、一人ひとり違うから。だから、ここを考えるところから、次の「働く」や価値創出、「生きる」みたいなところが始まるのかなと思いました。
遠山:尾和さんは以前からAIに関心を持っていますよね。どういうところに興味があるんですか?
尾和: AIに興味があるのは、AIには人間の写し鏡みたいなところがあると思うからです。我々は他人という存在を認識することで、自分を自分と思うじゃないですか。人間が宇宙に出た理由も、客観的に地球という星を見て、自分たちをより認識しようと思ったからではないかと思います。
AIも、我々が何者なのかを考えさせてくれる非常に貴重な存在なんじゃないかと思っていて。AIに向かい合うことによって、自分の存在意義や、どういうふうに生きたいのかを考える。そこから、人生の質や、その中にある「働く」の質も変わってくる気がしています。
だから、ラッキーな時代に生まれている気がするんですよね。AIを鏡としてこれを考え尽くすことは、現代に生まれた恩恵を享受し尽くすことに近いのかなと思ったりもします。