もう一例は、バレンシアガの広告炎上事件です。
キャンペーン用の写真のなかで、ボンデージギアを付けたテディベアのぬいぐるみバッグを小さな女の子に持たせていたこと、別のバッグとともにデスクの上に置かれた書類が、児童ポルノに関する米連邦最高裁の判決に関するものだったことが児童の性的搾取にあたると問題視され、バレンシアガは画像を取り下げて謝罪文を発表しました。
ファッションメディア「ビジネス・オブ・ファッション」が、同ブランドのクリエイティブ・ディレクター、デムナ・ヴァザリアに贈るとしていた「グローバル・ボイシズ・アワード」の授与を取り消すなど、影響の余波は続いています。
デムナ・ヴァザリア(Getty Images)
ヴァザリアもこの10年ほど文化の前衛をいく創造を続けてきた人です。ありふれたもののコピー(イケアのバッグ風)を高級化してみせたり、土の中から掘り起こしたような汚れたスニーカーを出してきたりして、現代社会へアイロニーをつきつける前衛の役割を果たしてきました。
保守的な世界の価値観をつついてざわつかせる姿勢こそが新たな顧客層を惹きつけ、日本でも芸人さんが自発的にバレンシアガの広告塔になるなど、結果的にビジネスの拡大をもたらしました。
今回のキャンペーンも同じ姿勢の延長に生まれたものであったと想像します。が、さすがに行き過ぎて失敗しました。保守の価値観を逆なですることに価値が生まれる挑戦的な文化創造において、ギリギリの適正バランスを保つことの難しさが伝わってきます。
2ブランドとも、アートに発する文化を作ることに意欲的なケリンググループの傘下にあります。巨大資本のもとで恒久的に文化的前衛であり続けることの難しさを示した例として受け止めたいところです。
旧型ラグジュアリーブランドが成長拡大を目指そうとするならば、新しいターゲット層にアプローチせざるをえず、その層に「刺さる」カルチャーを取り入れることで、文化的前衛としてふるまい続けることが必要になります。
たんにストリートカルチャーを包摂するという程度の話であれば、戦略としてシンプルでした。それがクリエイターの内発的な創意から生まれた真正な挑戦であればあるほど、長期に及べばビジネス上の停滞を招いたり、従来顧客層が大切にする道徳観との衝突を招いたりすることが避けられないという難しさを、グッチとバレンシアガの例から見て取ることができます。
いずれにせよ旧型ラグジュアリーの構造でそらおそろしいのは、前衛の旗手としてもてはやされたミケーレやヴァザリアでさえ、微動だにしない巨大資本から評価され、進退を左右される駒にすぎないこと。ほんものの創造的破壊、前衛的文化の創造は、やはりこのタイタニック号構造の外の小舟から生んでいくというのがふさわしいように思われます。
連載:ポストラグジュアリー 360度の風景
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