2つ目。カンファレンスの最後には、イタリア新政府内でMade in Italy促進を担当するアドルフォ・ウルソ大臣が登壇しました。10月に就任したばかりの彼がまず放ったのは、「今日、この場で何度、中国という名前を聞いたことか!」という苦言とも思えるセリフです。「中国次第」でイタリア企業のビジネスが左右され過ぎる、と。
2019年3月21日、イタリアはG7としては初めて中国との経済交流を促す「一帯一路」構想覚書を締結したのですが、その後、両国間には徐々に冷たい風が吹き始めます。そして3年半が経過した時点で、新大臣はイタリアの企業家やジャーナリストの前で新たな方向を示したことになります。
ウイグル自治区の人権問題、ロシアのウクライナ侵攻に対する政策に関する西側諸国との距離、これらからEU自体が中国との関係を再考しつつあります。ウルソ大臣の発言から窺えるのは「ロング・サプライチェーンに依拠したグローバリゼーションの終焉」です。それは、イタリアや欧州の価値観に基づいたビジネス戦略の再評価と解釈できます。
アドルフォ・ウルソ大臣(Getty Images)
ぼくは、このカンファレンスをオンラインで見ながら「来るべき時が来た」と思いました。
前回記事の後半部で書きましたが、7〜8年前から、欧州のラグジュアリー企業が中国市場に依存する割合が増え続けるなか、彼らがこれまで維持してきた方針を微妙に変え、中国に配慮しつつあるのを見てきました。
しかし、中国市場に「おもねる」のがあからさまであれば、やはり白けます。世界ラグジュアリー市場・個人消費財部門の7〜8割を制覇してきた欧州企業に対し、「それでいいの?」と、この数年もやもやした気持ちが続いていました。カンファレンスでも、「中国次第」発言と「これからのラグジュリー」の議論にある乖離に落ち着かないものを感じました。
そんななかで、極右だと叩かれている新政権(イタリア国内の実感では、「極右」は大げさな表現に思えます)の大臣の話に「柄にもなく」刺激を受けてしまった。
新政権は移民・難民の受け入れに消極的な方針を打ち出しており、移民のぼくとしては居心地がすごく悪い。EUの多文化主義に真向うから否を唱えているわけではないですが、欧州各国で鎖国的政策をアピールする政党に支持が寄りつつあり、その流れのなかで存在感を期待されているのがイタリア新政権という構図があります。
他方、実は、カンファレンス冒頭でダルピッツオは、これからのラグジュリーは「文化的前衛」の役割を果たすと、中野さんとの著書『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義』で書いたことそのものをプレゼンしてました。ウルソ大臣の話も、基本路線は新しいラグジュアリーの考え方に近いといえます。
ぼくたちの新ラグジュアリー論は、イタリア新政権の方針と重なるのでしょうか。中野さん、この段階でボールを受け取ってもらえますか?