ラグジュアリーの経営者が現状を「タイタニック号」に喩える理由

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ラグジュアリー産業の数字がなまじ右肩上がりである様子を、タイタニック号と重ねるハイエンド企業経営陣の喩え、秀逸ですね。

彼らの多くがビジネスの行方を中国次第ととらえ、中国の出方を内心ひやひやしながら伺っているというのは主体性がなさすぎて、本来的な意味でのラグジュアリーとは程遠い、従属的な姿勢に見えます。

タイタニック号の喩えに便乗させていただきますと、旧型ラグジュアリーが氷山を目前にしつつも船内で豪華なパーティーを続けていくのだとすれば、新型ラグジュアリーはいち早く危険を察知して小型のボートを多数おろし、光の見えそうな陸の方向に向かってめいめいが漕いでいく、というイメージですね(もともとタイタニック号に乗ってはいなかったとも言えますが)。

また最近、「新しいラグジュアリー」ということばをちらほら聞くようにもなりましたが、その多くは、これまでの旧型ラグジュアリーにサステナビリティや企業倫理を加えただけのものだったり、旧型構造はそのままで担い手が若い人に変わっただけの事業だったりします。それは、タイタニック号の船内にとどまりながら楽曲をクラシックからポップスに変えるだけの「新しさ」です。これもまた、『新・ラグジュアリー』で提示した世界観とは一線を画したい発想です。

他国(他者)の出方に左右されることなく主体的な舵を握ること、とはいえ鎖国的政策に寄らずに多文化主義を推進していくこと。この繊細なバランスを保ちながら文化的前衛であり続けることが『新・ラグジュアリー』的なあり方の理想……と解釈しています。

その参考までに、旧型ラグジュアリー産業における文化創造の問題を考えてみたいと思います。というのも、巨大ラグジュアリー産業の文化創造の難しさを示す報道を、最近、立て続けに目にしているからです。その中から2例を挙げます。

1つめはグッチの立役者、アレッサンドロ・ミケーレの退任です。


アレッサンドロ・ミケーレ(Getty Images)

2015年にクリエイティブ・ディレクターに就いて以来、それこそ文化の前衛として時代を導いてきました。LGBTQを筆頭とする文化的マイノリティが生きやすくなったのは、人間をあらゆる呪縛から解放しようとした彼のロマン主義に基づくデザインの力が大きかったのです。新たな文化創造を先導したミケーレは従来になかった顧客層を取り込み、利益4倍増という成功をもたらしました。

それから7年。ミケーレのグッチとその顧客層は安定した蜜月関係を築いていたように見えますが、さらなるビジネス拡大を求める親会社ケリングはそれでは満足しませんでした。新たな方向への転換(=新たな富裕顧客層への訴求)を求め、ミケーレは退任という結果になりました。

文化的前衛がいかにクリエイターの内的創発から生まれたすばらしいものであったとしても、それがいったん浸透して平衡状態となり、拡大がもたらされなければ価値も薄れるというシビアな資本の論理を見た思いがします。
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文=安西洋之(前半)、中野香織(後半)

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