戦地で聞いた「なぜ攻撃されている街で暮らし続けるのか?」

ロシア軍からの攻撃も珍しくないミコライヴ市の路上。カメラを向けると笑顔で返してくれるウクライナの人たち


笑顔は侵略者に対する強い意志


──ウクライナでは、軍と市民の関係はどんな感じなのでしょうか?

ウクライナでは、市民は軍人に対しては本当に感謝しています。自分たちと国を守ってくれているという意識ですね。

兵士たちが前線から戻ると、市民から歓迎を受けます。私が取材した兵士が戻ってきた時には、目の前で収穫したばかりの林檎を農家の人からプレゼントされていました。兵士たちはどこに行っても歓迎され、労われています。市民にとっては、自分たちの自由のために戦ってくれている人たちということなのでしょうね。

でも、軍人とはいっても、ロシア軍が侵攻する前は普通に市民生活を送っていた人たちばかりです。私が知り合ったウクライナの兵士は、もともとコーヒーのロースター(焙煎家)をしていたそうです。それで、この前、前線から後方に彼が戻ってきた時に、彼のコーヒーをご馳走になりました。

その時に話を聞いたのですが、彼はロースターをする前は、大学で生物情報学を専攻していたそうです。実は、私も同じ専攻でしたので、驚きました。生物情報学とは、遺伝子情報などを取り扱う分野です。彼も理系の学生だったのです。他にも研究者だったという兵士もいました。

普通の一般市民がロシアの侵攻を前にして立ち上がって、志願兵となっているのです。彼らはもともと、銃とは無縁の市民たちだったのです。

──義勇兵として世界中から集ってきている外国人は、どういう人たちなのでしょうか?

義勇兵として参加する人が多いのは、やはりジョージア人、ベラルーシ人などですね。ロシアと戦うという明確な目的がある人たちです。ベラルーシ人には、昨年潰された民主化運動に参加していた人たちも多いです。

西側では、アメリカ人にも多いです。あとは、西ヨーロッパの人。ベルギー人の義勇兵の人もいました。そんななかで、私が詳しく話を聞いたのはカナダ人の義勇兵です。

彼は、もともとカナダ軍で優秀な軍人だった人です。開戦とほぼ同時にウクライナに来ました。彼によれば、その時期のウクライナ義勇兵、つまり外国人部隊はあまり統制がとれていない状態だったようです。アメリカ人、ベルギー人、カナダ人などが部隊内に混在していて、連絡がうまく回らないうえに、ウクライナ人の指揮官が英語を理解できないという状態だったそうです。

その後、彼は正式にウクライナ軍に入隊して前線に向かいましたが、訃報を聞いたのは6月でした。東部ハルキウ州のイジューム周辺の激戦地で亡くなったそうです。その戦いで生き残ったのは、6人のうち4人だったといいます。軍の人間だったので、基本的に彼の撮影はできなかったのですが、実は1枚だけ写真が今でも手元にあります。

後方にいる兵士の人たちはあまり写真を撮らせてくれません。軍から、そういう通達があるのでしょう。しかし、前線に行くと「オレの写真を撮ってくれ」と言われることが多いです。自分の最後の1枚になるかもしれない、そういう気持が動くのでしょうか。
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文=小川善照 写真=クレ・カオル

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