経済・社会

2022.12.06 08:30

戦地で聞いた「なぜ攻撃されている街で暮らし続けるのか?」


戦火の中での生活が「新しい日常」に


──そのような戦場と隣り合わせた状況下で、ウクライナの人たちの生活はどうなっていますか?

私がいま民泊している南ウクライナ有数の大都市ミコライヴ市は、先週、未明にミサイル攻撃があり、建物は半壊でしたが、市民6人が亡くなりました。住宅地で、その地区には軍事施設などはなかったのです。そういうロシア軍の市民を標的にしたとしか思えない攻撃は現在でもたまにあります。


3月のイルピンにて。自転車でいつもの日常を過ごしていた市民が爆撃により死亡した

ライフラインは、電気は時々停電します。停電時間はキーウのほうが多いようです。ミコライヴ市でいちばんの問題なのは水道で、浄水施設が破壊されたために、ドニエプル川の水をそのまま取水しているのですが、このあたりは海水が混じる汽水域のために、潮の香りがする黄色い水が水道から出てきて、シャワーは海水浴みたいで、ステンレスのナイフが錆びるほどです。

食事に関しては、私はほとんど外食ですませています。食料については、どの街でもレストランやスーパーなどが必ずどこか営業しています。キーウなどでは営業を再開している店舗も多くなって、通常営業に戻ってきているようです。

──単純な疑問ですが、もっと安全なウクライナ西部などに避難せず、なぜロシア軍の攻撃があるような土地に踏みとどまる市民が多いのでしょうか?

不便で命の危険がある土地ですが、生まれ育った場所です。そこを離れることなく、戦火の中での生活が「新しい日常」になっています。ミコライヴは、開戦前からすると半分ほどの市民がずっと残っています。このあたりではいちばん多い場所ですね。

南に車で20分ほど行ったヘルソンの郊外には村がいくつかあるのですが、無人の村が続きます。でもそんななかにも地下室などに潜んで暮らしている人もいます。自分の生きてきた土地で生活を続けること、それが精一杯の市民ができる抵抗なのです。


11月10日、ミコライヴにミサイル攻撃があり、市民6人が犠牲に。翌日、破壊されたその住宅を片づける市民

ロシアと国境を接する東部ドンバス地方の村に住んでいたおじさんは、そんな戦地の村で自分なりの日常を送り続ける1人でした。気のいい人で、お酒が好きで、一緒にウオッカを楽しく飲んだ仲です。しかし、6月に彼の娘さんから連絡がありました。そこは水道がないので、生活のために山に水を汲みに行くのですが、その最中にミサイルの爆発に巻き込まれて、おじさんは亡くなったそうなのです。

開戦してすぐにロシア軍に占領されたイルピンでは、ロシア軍の爆弾の破片が直撃して亡くなった人を見ました。ロードバイクに乗っていたらしい彼は、そのままの姿で倒れていました。ただの日常の瞬間の先にこんな死があるのかと、最初に驚いた時でした。

それから多くの死を目撃してきました。ウクライナ軍が奪還した北東部のハルキウ州のクピャンスクでは、黒こげのロシア兵の死体がまだたくさんあって、そのまま放置されていたので、臭いが本当にひどかったです。
また、ブチャではロシア軍に虐殺されたとみられる市民の遺体も多く目にしました。子どもと思われる小さな遺体もありました。

思えば数えきれない死を目撃してきました。出会った人には、いつもその後の安否を聞くようにしています。
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文=小川善照 写真=クレ・カオル

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