カオル氏は、広東語、英語に加えて日本語にも堪能であり、日本のテレビなどでもウクライナの状勢を伝えている。自らの足で戦場を歩き、取材を重ねてきたカオル氏に、オンラインでインタビューする機会を得たので、ロシアによるウクライナ侵攻が引き起こした戦場の現実と、共存するウクライナ市民たちの実際の暮らしと真実の声を聞いた。
──戦場の取材で危険な目にはあいませんでしたか?
いちばん最前線に行ったのは、ロシア軍の拠点まで1キロメートルというウクライナ軍の塹壕を取材した時です。もうロシア側の建物が肉眼ではっきりと見えました。それをウクライナ軍はドローンで偵察していました。
その帰りです。乗っていた車のタイヤが壊れて動けなくなり、取り残されたのです。ぐずぐずしていると砲弾が飛んでくる場所で、いち早く撤退しないといけないという時でした。他の記者チームの車が偶然近くにあったので、助けに来てもらい、なんとか脱出できました。
ルハンスク州のセベロドネツクでは、自分がいる5メートル先で爆弾が破裂しました。そのため、私たちの取材クルーが負傷しました。ウクライナ軍のプレスパスでは、防弾チョッキ着用が取材時の必須の条件で、戦場に出る時、私は常時ヘルメットと一緒に着用しています。
実は、ロシア兵に直接銃を突きつけられたことも、1度だけあります。ロシア軍の侵攻が始まって間もない頃、首都キーウに近いイルピンの郊外でした。当初の情報とは違って、ウクライナ軍だと思っていたのが、ロシア軍の検問所だったのです。そこにいたロシア兵に銃を突きつけられたのです。
こちらの一行はジャーナリストばかりだったので、「プレス、プレス」とみんなで手をあげてロシア兵の指示に従いました。この時は、若い兵士で、外国人ジャーナリストで非武装であることをわかってくれたようで、拘束することなく解放してくれました。
また虐殺事件も取り沙汰されているブチャ近郊にいたロシア軍部隊は、西側メディアとわかったうえで発砲してきました。3月には、実際にアメリカ人ジャーナリストが、ロシア軍の銃撃で命を落しました。イルピンの検問所の一件は運がよかったのだと思います。
危険な体験に遭遇して、もちろん怖いという気持ちもあります。でも、民間人が残っているなかで、私たちジャーナリストが先に逃げるのは絶対にダメだと思っています。