“できないこと”に目が行き不安になる度に、「私のせいだ」と自分を責めて「私なんて」と自信を失くし、罪悪感を抱くこともあるかもしれません。でも、働く女性がぶつかる壁の背景には、日本の社会構造の課題があります。
今回お話を伺うのは、『働く女子の罪悪感』(集英社)の著者であり、さまざまなメディアで活躍するジャーナリストの浜田敬子さん。朝日新聞社に入社し、週刊誌「AERA」初の女性編集者に就任。50歳で転職し「Business Insider Japan」統括編集長を経て、現在はフリーのジャーナリストとして活動する傍ら、リクルートワークス研究所「Works」の編集長を務めています。
浜田さんご自身の経験を交えながら、取材を重ねて見えてきた「私たちを取り巻く社会構造」についてお話しいただきました。
*TOKYO創業ステーション TAMA Startup Hub Tokyoで開催されたイベント「『こうあるべき』に縛られない自分らしい人生の選択肢」の内容を前後編に渡ってお届けします。
働く女性の罪悪感と、企業側のアンコンシャスバイアスと統計的差別
私は、1989年に朝日新聞社に入社しました。どういう時代だったかというと、1986年に「男女雇用機会均等法」が施行されたその3年後。なので私たちは「均等法世代」と呼ばれます。
それまでは、男性が基幹総合職、女性は補助的な仕事というように企業内にもはっきりとした性別役割分業がありました。男女雇用機会均等法ができて、まがりなりにも日本で初めて企業の採用や昇進において性差別が禁じられた。当時大学生だった私は、これで私たちも総合職に就いて、男性と同じように働いて同じようにお給料がもらえる、と思ったことを覚えています。
10代の頃から新聞記者になりたくて、念願叶って朝日新聞社で働き始めるんですが、入社当時は女性は「保護」の対象で、深夜労働、宿直勤務が禁じられていました。そうすると、何が起きるか。47都道府県それぞれに支社があってやっと女性が一人ずつ配属されるようになったんですが、10人程度しかいない支局で、女性が宿直ができないと男性の宿直ローテーションがキツくなる、という空気があったんです。
ただでさえ人数が少ない地方支局で、自分だけ宿直のローテーションに入れない女性たちは、ごめんなさい、申し訳ない、と罪悪感を抱いていました。同時に、一人前とみなされていないんじゃないか、という思いもありました。
私が入社して半年後に、女性も宿直勤務が認められ、始まりました。でも、私が30年前に抱いた悩みと葛藤は決して昔の話ではなく、今も続いていると思っています。