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2022.10.31

トヨタ社長・豊田章男に聞いた「販売減でも過去最高益」一強の秘密

トヨタ自動車の豊田章男社長(Getty Images)


阿部は「家元組織だからできた」と言い、3つ目の時代を「家元経営の時代」と言う。

「家元というのは創業家という意味ではなく、価値の体現者という意味です。トヨタには豊田佐吉時代に始まる思想があり、トヨタ生産方式という圧倒的優位性をもった技があり、カイゼンに代表される生産現場での所作があった。ただ、思想、技、所作がバラバラに存在していた。これを豊田社長自らが社員の前で実行して一体化させた。レストランのオーナーシェフが料理から経営や接客までやってのけるようなものです」

豊田の話で印象的だったのは若い頃の次の話だ。「私は佐吉も喜一郎も知らない。そこで座学で勉強するのではなく、自分から思想に迫っていこうと思ったんです。会社の年休を利用して喜一郎を知る人たちを訪ね歩きました。喜一郎と佐吉が開発したG型自動織機を復元したりもしました」

豊田は思想だけでなく、「カイゼンの鬼」と呼ばれた師匠・林南八のもとでトヨタ生産方式という技を叩き込まれ、また、マスタードライバーの成瀬弘に弟子入りしてクルマの技術に飛び込む。カイゼンから運転まで豊田の右に出る者がいないと言われるのは、厳しい人たちのもとで怒鳴られながら修行をしているからだ。

豊田章男による代表的な商品づくり改革

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クルマの設計思想から変える、「TNGA(トヨタ・ニュー・グローバル・アーキテクチャー)」の導入は、それまでのものづくりが劇的に変わったことを意味する。性能を磨き生産性高めるといった機能軸の発想から、走りや嗜好、使用用途にまで注目し、乗りたいと思わせるブランドづくりを意味する商品軸への鍵となった。TNGAはトヨタの言う「素のいいクルマ」を生み、ドライバーにとっては「愛車」につながっていく。

阿部は米アップルの元役員から聞いた話を思い出したという。

「スティーブ・ジョブズが亡くなった後も、経営陣は“スティーブだったら何というだろう?”とジョブズを軸にして考えるというのです。思想の軸がぶれていないかが重要なのです」

左の「商品づくり改革」の年表を見ると、未来の利益を生むための大きな流れになっていることがわかる。数値目標ではなく、「もっといいクルマをつくろう」という抽象的な目標を掲げたことで、現場が自分たちで考えて多くの改革が生まれ、最高益を導き出したといえる。

阿部が「家元組織」と名づけた理由は、お茶や生け花や武道の家元組織のように、家元という体現者のもと、階層に関係なく教え合う「成長志向の組織」だからだ。上達したい個人が教え合うため、個人の成長と組織の成長が一体化している。だから数値目標ではなく、「成長したい」という欲求があればあるほど組織は成長をし続ける。日本の芸道の流派が海外に支部を拡張していく姿を、1970年代、アメリカの学者は「IEMOTOの強さ」と評したほどだ。

トヨタの例から日本企業は何を学べるか。スパークス・グループと本誌の共同研究を、阿部は『トヨタ「家元組織」革命』として上梓した。阿部はこう言う。「いい企業にはいい企業なりの理由があります。だから真ん中の経営者を見ないといけない。経営者がいて、思想があるのですから」。


豊田章男◎1956年生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。バブソン大学経営大学院修了後、米投資銀行に入行。その後トヨタ自動車へ。営業部門などを経て98年にGAZOO.comを立ち上げる。同時期に米に渡りGMとの合弁会社NUMMIの副社長に就任。帰国後、2000年に取締役に就任。05年に副社長に就任19年リーマンショック後に社長に就任。代表取締役執行役員社長兼CEO。

阿部修平◎1954年北海道札幌市生まれ。上智大学経済学部を卒業後、米バブソンカレッジでMBAを取得。82年に米ノムラ・セキュリティーズ・インターナショナルに出向。85年にニューヨークで独立し、ジョージ・ソロスから運用を任される。89年に帰国しスパークス投資顧問(現スパークス・グループ)を設立。同社代表取締役社長、グループCEO。スパークス・アセット・マネジメント代表取締役社長、CEO。

文=中田浩子、藤吉雅春

この記事は 「Forbes JAPAN No.096 2022年8月号(2022/6/24発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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