阿部が豊田に拡大期の疑問を投げかけると、豊田はこう言った。
「ものごとには必要数がある。その必要数に対してどのくらいのキャパシティを設けるかと考えるのがトヨタの技です。拡大期にその思想がなくなってしまった。2人家族がどれくらいの炊飯器を使うかという話をするとわかりやすい」
ご飯一粒当たりの生産効率を考えると、大きな炊飯器の方が安くて大量につくれる。これは必要数を無視したものだ。トヨタの拡大期は20万台を製造する規模の工場よりも、50万台規模の工場が効率がよいとなった。
これはトヨタが創業期につくりあげた圧倒的優位性の仕組み「ジャスト・イン・タイム(必要なときに必要なものを必要なだけ)」とは異なる。豊田はこう言った。
「ある市場において、クルマが売れるキャパシティは限られている。未来永劫、無限に売れるものではない。だから、(売る量は)定時で生産できる量に構えておく。後はカイゼンで、サイクルタイムを上げていくなり、残業でばらつき対応をする。それはオペレーションの技。しかし、当時は、すべてキャパシティの拡大で解決しようとなってしまった」
主要自動車メーカーの時価総額推移
2008年のリーマンショック以降、日米欧の自動車メーカーは苦戦した。20年の新型コロナウイルスの影響が落ち着くと、コロナ規制緩和策で先行した欧州の代表メーカー、フォルクスワーゲングループの巻き返しがあるものの、トヨタとは大きく差が開いている。『トヨタ「家元組織」革命』の著者阿部修平によれば、ここまで時価総額に開きが出るのは、「トヨタのほうが利益率が高い」ためで、投資家はそれを評価している。
トヨタは自らの優位性を見失った結果、教育訓練が間に合わず、品質問題が発生した。そしてリーマンショックで生産ラインが大幅に余剰となったのである。拡大計画ありきの経営の危うさについて、豊田はこう言った。「拡大にはさらなる拡大が必要な中毒的作用があるんです」。
さらに根が深い問題がある。リーマンショックで北米市場での販売台数が激減したものの、日本市場では一時的に販売台数は減るが一年後に戻している。ところが、国内生産は激減。販売は維持しているのに生産が減り、収益が減る理由は、日本国内がアメリカ向けの車両輸出基地であり、「調整弁」のような状態になっていたからだ。
多くのサプライヤーを擁する産業構造ゆえに、国内生産が減ると競争力が失われ、日本の「ものづくり力」が低下する。自動車産業は日本のGDPの1割を担っており、それは日本経済全体に影響する。メディアを始め、多くの人が「黄金期」と評した拡大期は、このように危ういものだったのだ。
リーマンショック後、「仕事の意味」が変わった
阿部と私たちが愛知県内にあるトヨタの高岡工場と元町工場を見学したときのことだ。身長140センチ台の女性従業員が一人で作業をしていた。セル生産方式といってU字型の作業台で、前方に車体のボンネット部分があり、左右に道具や工具のケース類がある。
背が低い彼女が部品や道具をすぐ手に取りやすいように、仲間が「からくりカイゼン」という、部品箱の高さを自在に変えられるような「手繰り寄せ」の装置をつくっていた。「からくり」という名前の通り、電気などの動力を使わず、足踏みペダルのようにテコの原理で部品箱を動かす。
工場内は「からくりカイゼン」の博覧会のように、いたるところに工夫が施されている。従業員曰く、「リーマンショックの前もカイゼンはやっていました。しかし、上司から言われてやるものであり、主体的ではなかったのです。今では誰かの仕事を楽にしてあげると、自分が楽になることに気づきました」。