レイ:ただ、日本の田舎は村社会という側面もあり、都会から田舎に引っ越した僕らは、よそ者扱いされたという面は否定できません。子ども同士に隔たりはなかったものの、イナモト家が地元で浮いていたところはあります。
昭和で保守的な村では当時、中学男子は五分刈りという決まりがありました。ところが、親は「そんなのは意味がない」という考えで、双子の僕らは五刈りにしなくて。すると、余計に浮いてしまって。とはいえ、その経験から、「自分の信念を持たなければいけない」と、親から間接的に教えられた気がします。
中道:僕も経験しましたが、「こうしなければ、ダメだ」という昭和の価値観はありましたね。
レイ:いまでも、東京ですら「頭髪は黒でなければいけない」と、意外と保守的だったりするみたいですね。
中道:確かに。僕自身も12歳でロンドンに移ったこともあり、日本の中高のことは詳しくないですが、学校のルールは今も議論がありますね。
レイ:日本の礼儀正しさやルールを守る点はいいところですが、形式にこだわり過ぎるきらいがありますね。
中道:考えることを取り除かれてしまっていると言えるかもしれません。僕の2人の子ども(14歳と13歳)も、2年前からイギリスのボーディングスクールに通うようになり、初めは全く英語を喋れずにいましたが、今では言葉も覚えて、ロジックをもとにしたコミュニケーションを取り始めています。
日本では先生もディスカッションに慣れておらず、生徒からロジックに基づいて主張される経験そのものが少ないはず。考えてもいなかったことに頭を悩ませているのではないかと感じます。
レイ:Howばかりで、Whyを教わらずに来たんでしょうね。それこそVision to the FUTUREを考えると、教育は今後の日本にとって大きな課題ですね。
中道:そうですよね。一旦話を戻すと、レイさんは東京の語学学校で1年学び、スイスに渡ることになります。なぜスイスだったのでしょうか。
レイ:語学学校の校長先生が、僕ら双子が海外の高校に行くならとおすすめしてくれたんです。父は自営業で2人を留学させることは金銭面で苦しかったはずで、奨学金の話もあったと思います。裕福な家庭とは言えなかったので、親は僕らをスイスに送るために借金までしてくれました。
中道:飛騨高山から東京に来て、スイスに渡るという、その数年間は激動でしたね。
レイ:すごかったですよ。スイスではルガーノという観光地の学校に通いましたが、飛騨高山のような小さい町で、学校も村のようなところにありました。
自分のアイデンティティの構築で言えば、アメリカやイギリスのボーディングスクールではなく、スイスのインターナショナルスクールに通った意味は大きかったと思います。昨今はダイバーシティが話題に上りますが、何の知識も経験もないなかで、黒人や白人、アジア人の友達もいるという、まさにダイバーシティの環境を若い頃に体験をできたのは貴重でした。