キャリア・教育

2022.10.13 17:00

スタンフォード大から見た日本はここが残念、作るべきは「失敗容認法」だ

スタンフォード大学アメリカンフットボール部コーチ、河田剛氏。コーチ業の傍ら、シリコンバレーで日米双方のスタートアップのサポート/アドバイザーを務める


この世に愚問なるものは存在しない


誰が企画立案、コントロールしているわけでもないが、アメリカという社会では、神の見えざる手によって「クリエイティブさを失わないために、この世に愚問なるものは存在しない」という目視できないルールが存在するのである。
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なによりも合理性を重視してことが進んでいく社会、アイデアや発想の転換を無駄にしない社会。

もちろん、米国社会には弊害もある。日本では考えられないような学力の低さを持つ人間や、一般社会では許容されないような価値観を持つ人間もいる、そしてそれに起因する犯罪などもその一つである。しかしそういった弊害を包含しながらも、米国は、少なくとも答えを一つに限定しない、発想豊かな社会を創り上げてきたのである。

ひるがえって、そういう社会を創り上げられずにいる日本が、一人の日本人として本当に悔しい。
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「誰かを指さすことだけはやめよう」


この連載を書いている日に、わがスタンフォード大学アメリカンフットボール部は大きな「敗戦」をした。しかも自爆と言えるようなミスばかりの試合で、自分達のやろうとしたことができぬままゲームが終わってしまった。スポーツを経験してきた方々にはわかって頂けるだろう。それが一番悔しい負け方である。

しかし、私の場合、敗戦の中に一つの楽しみがある。敗戦後のリーダーの話、つまりヘッドコーチの話を聞くことである。葬式のような、咳をすることさえ憚られるような空気の中、それは始まる。

「誰かを指さすことだけはやめよう。あいつが悪い、こいつの責任だ、そんな簡単で稚拙な悔しさの表現はやめよう。我々も人間だからそうしたい気持ちもわかる。そういう時は、俺を指さしてくれ、そしてなんでも話してくれ。なぜなら俺はこのチームのリーダーだからだ。メディアやファンからの文句や辛辣な意見を受け止めるのも俺の仕事なんだから、おまえらは次のゲームに集中しよう」。

なんと素晴らしいリーダーシップであろうか。これこそ、まさに「俺が責任取るからやってみろ!」を体現しているリーダーである。

さて、久夛良木氏の反応は──?


ここまでの話をしていた場所は、久夛良木さんとの和会食の店だったことを思い出してほしい。果たして、聞き終わった久夛良木さんは次のように言ってくれた。

「それはまさに俺が今日、ある雑誌のインタビューで話したことだよ。特に教育現場において、答えが一つしかないというのは、著しく間違っているし、社会においても何のプラスにもならない」

心から嬉しくて、私は思わず聞いてしまった。「それは私の意見にAgreeをいただけたと受け取って間違いないでしょうか?」

うれしすぎて久夛良木さんが何と答えてくれたのかは覚えていないが、おそらく、私の人生で最大と言っても過言ではない「Agree(同意)」をいただけたのではないだろうか。
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文=河田剛 編集=石井節子

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