スタンフォード大から見た日本はここが残念、作るべきは「失敗容認法」だ

スタンフォード大学アメリカンフットボール部コーチ、河田剛氏。コーチ業の傍ら、シリコンバレーで日米双方のスタートアップのサポート/アドバイザーを務める


1.小学校にて:「ハイハイハイ!」と手を挙げたのに──?

アメリカには「Read Across America」という名のイベントがある。詳細は割愛するが、子供達があこがれるようなスポーツ選手達が、小学校を訪問して本を読み聞かせるという素晴らしい企画である。

選手のサポートで、そのイベントに参加した時のことである。本の読み聞かせが終わり、先生から「では、選手の皆さんに質問がある人」を号令に、40人のうち、そっぽを向いて話も聞いていなかった(これもアメリカの教育現場らしい……)数人以外のすべてが、いつかどこかのテレビで見たマスゲームのように一糸乱れぬ動きで手を挙げてくるのである。先生がそのうち一人の名前を呼んで指さすや否や、彼女はほんの少しだけ恥ずかしそうに言った「ちょっと、質問忘れちゃった……」と。「ハイハイハイ!」と手を挙げて「わかりません」。

我々くらいの世代にとって、それはもう、あの志村けんのいた「ザ・ドリフターズ」のコント以外のなにものでもない。しかし、それはなかったことのように質疑応答が続いていく。そして、手を挙げたほかの生徒が当てられ、質疑応答が一巡した直後に私は気づいた。あろうことかさっきの女子は、またすぐに手を挙げていたのである。

選手たちは答える前に必ず「Good question!」、まとまらない質問も先生が「こういうことが聞きたいのかな?」とまとめてくれる。そして、その時に選手の一人が使った、「Thanks for asking」は私が現在も多用する言葉の一つである。とにかく、アメリカの子供達は、誰が音頭をとったわけでもないのに、このように質問することを恐れないようにデザインされた教育プログラム、いや、そのような社会の中で育っている。

2. 2007年夏、あるミーティングにて:「この世に愚問なるものは存在しない」

ミーティングの始めには、オペレーションマネージャーから、その日のイベントの詳細と注意事項について、細かな説明がある。中で、彼ははっきりと次のように言った。「一番大事なことは、15時にスラックスとポロシャツに着替えてアリーナの前にいること」。

一通りのイベント説明や幾つかの項目の説明が終わった直後、ヘッドコーチが、「何か質問がある人」と確認する。すると、待ってましたとばかりに手を挙げる一人の若者、そして、耳を疑うような質問が……。

「15時にアリーナの前に集まる時の服装は?」

私を含め、その場の多くの人間の頭から「それ、さっき大事なこととして説明したよね?」のセリフが書かれた「吹き出し」が飛び出すのが見えるようだった。これを読んでいる日本人の方々も同意してくれるだろう。しかし、ヘッドコーチからでた言葉は、その日2回目の耳を疑う言葉だった。「ありがとう○○○、大切なことだからリマインドしてくれたんだな。いいかみんな、15時にスラックスとポロシャツでアリーナの前に集まろう」。

カルチャーショックだったので、15年を経ても鮮明かつ鮮烈に覚えている。しかし、今の私なら言えると思う。「リマインドをありがとう」と。
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文=河田剛 編集=石井節子

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