スタンフォード大から見た日本はここが残念、作るべきは「失敗容認法」だ

スタンフォード大学アメリカンフットボール部コーチ、河田剛氏。コーチ業の傍ら、シリコンバレーで日米双方のスタートアップのサポート/アドバイザーを務める


失敗を許す法律


他愛もない話が続く中、どうしてそうなったのかは覚えていないが、「日本を良くするためにはどうしたらいいのか?を私の視点から述べる」という途轍もなく壮大なテーマのお鉢が私に回ってきた。今思えば、久夛良木さんのような方を前にそのような話をするのは……であるが、いつも思っていることなので、意外と簡単にそして滑らかに私の口が滑り出した。

「失敗を許すという法律やルールをつくること」

ゆっくりと出てくる高級和食のコースの2品ぐらいに手を付けずに、機関銃のように話をしたので、自分のためにも少し整理してみる。

我が国の社会では、失敗が許容されない。だから何も決まらず前に進まない。企業にしても政府にしても、デシジョンメイキングのプロセスは、途方もなく長い。

コロナ対策を例に挙げれば、政治家や官僚は、あらゆる省庁や部署にお伺いを立て、「これで大丈夫かな?」「不具合ないかな?」「誰かから不平や不満がでないかな?」とやっているうちに、対応が後手後手に回ってしまう。

「緊急事態宣言を延長する意向を表明する方向で調整を図る」?


忘れもしない、コロナ真っ只中の時、インターネット経由でみた日本のニュース番組で、あるニュースキャスターが「政府は緊急事態宣言を延長する意向を表明する方向で調整を図る」と原稿を読み上げていた。長いフレーズで既決事項が一つもないし、いったい一つのことを決めるのに幾つのドアをノックして確認することが必要なのか?と感じざるを得ない表現を、キャスターは当たり前のように涼しい顔で読み上げていた。

こうなってしまうことの一つの大きな理由が、終身雇用が根底にある、間違いの許されない社会と言えると私は思う。会社や組織でのミッションでも、自分のキャリアにおいても、みんな間違えることが恐くて本当にやりたいこと、やるべきことへの一歩が踏み出せないのである。多くの説明プロセスを割愛して別の表現にするなら、「俺が責任取るからやってみろ!」というリーダーの、そしてリーダーシップの数が少ないと言える。特に私の暮らすアメリカと対比すると、100倍や1000倍ぐらいその絶対数は違うのではないか。

そしてこの、「間違いが許されない社会」という言葉には、もっともっと大きな問題が含まれている。教育である。大人たちと同じように、日本のほとんどの子供達は、答えが一つの教育の中で育てられている。そしてそれは、間違えることが恐い、間違えるのが嫌だから発言しないというとんでもない魔物を野に放ってしまう。

関連して、私が身近で体験した2つの例を紹介したい。
次ページ > 1.小学校にて:「ハイハイハイ!」と手を挙げたのに──?

文=河田剛 編集=石井節子

ForbesBrandVoice

人気記事