日本人コーチがスタンフォード大で見た 「人が辞めても機能する」組織

スタンフォード大学アメリカンフットボール部コーチ、河田剛氏。コーチ業の傍ら、シリコンバレーで日米双方のスタートアップのサポート/アドバイザーを務める

外資系の企業は、とにかく優秀な人材、即戦力を欲しがる。海外でのMBAやマスターディグリー(修士)以外の学歴は、ほぼ見ていないに等しいし、どんなジョブホッパーであろうと、家族構成も退職理由も関係なく、その時のニーズに合った人材を採用する。

大きな理由の一つは、ある程度の能力の人を採用すれば、ことが上手く回る仕組みがあるからだ。

アメリカではプライベートと仕事の区切りがはっきりとしている。いわゆる「ワークライフ・バランス」の管理であり、皆様もご存知の事だろう。車社会のこちらでは、午後5時前には、きっちりと渋滞が始まる。さらに金曜日は、午後3時半には、その渋滞が始まるのだ。

人の努力に頼る日本と、仕組みで対応するアメリカ


また終身雇用という概念が存在しないこの国では、人々はその会社に合わなければ、1日でも、半日でも会社を辞めてしまう。逆もまた然りである。そして、いつ、誰がいなくなるかわからない組織では、人の入れ替えにとらわれず回るシステムを創り上げていくことが必要だ。

リクルーティングという文脈で言うなら、「個人の生活を侵させてまで仕事をさせることはできないので、生活を尊重してそれぞれが活躍できる仕組みを用意し、雇用期間の長さは問わず、プロフェッショナルを採用する」という、日本の社会では不可能な合理的判断が成されているわけだ。

「働き方改革? 日本じゃ無理だろ?!」


しかし日本の会社やその他の組織は、その仕組みが脆弱だ。理由は3つある。1つ目は終身雇用、2つ目は属人的な仕事のしかた、させ方、つまり「人の努力に頼る」やり方である。3つ目は、合理的判断ができないことである。終身雇用をベースとして、人の努力に頼ってきた組織や社会が、合理的判断ができないとなれば、変化や進化をしていくのが難しいことは、誰でも理解できるだろう。

数年前に遡るが、「働き方改革」という、見えない黒船から突き付けられた(というより、自ら受け入れた)不平等条約を日本の社会が受け入れた時には、どうなることかと思った。

戦後から、欧米とは真逆の「人の努力に頼って成長してきた社会」に、ある日を境に、急に「もうそんなに働いちゃダメだよ」という、合理的な判断能力に乏しい社会から見れば不合理ともいえるお達しが来て、それを社会が受け入れざるを得なかったからだ。

個を優先するアメリカでは、まず先に人々の暮らしや価値観があり、それをベースにボトムアップで働き方や社会の仕組みが成り立っている。だが日本では、日本人の従来のそれとは程遠い「働き方の理想モデル」が、上のお達しで個人の生活に降りてくる。つまり、ボトムアップではない、いわば逆ベクトルの方法で国民の生活に変化を与えるなんて。我が国はいったいそれでいいのか?と、思ったものである。
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文=河田剛 編集=石井節子

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