筆者は2018年、全国のまちづくりリーダーたちと京丹後エリアを視察しているときにおすすめされたことがきっかけで、飯尾氏と出会った。そこから飯尾醸造の「モテるお酢屋。」という経営理念に惚れ込み、田植えのイベントに参加したり、講演会などで一緒に登壇したりと、継続的に良いお付き合いをさせてもらっている。
そんな飯尾氏が手がけるお酢が、なぜ一流シェフに選ばれるようになったのか。その経営について、また未来に向けて挑戦していることについて、話を聞いた。
経営理念は「モテるお酢屋。」
──「モテるお酢屋。」という経営理念が印象的ですが、どのような経緯で5代目となったのでしょうか?
僕は1975年に飯尾醸造のある京都・宮津で長男として生まれ、物心ついた時から後継ぎになることを受け入れていました。
大学も東京農業大学の醸造学科でお酢の研究をし、その後いったんコカ・コーラの営業部に入社しました。そこで営業教育やマーケティングについて学んだのち、2004年に飯尾醸造に入社したという流れです。
講演会の様子
僕が継いでからの飯尾醸造は「モテるお酢屋。」を経営理念にしています。
モテたい先は6者あります。まずお客様とスタッフ、次に地元と契約農家、そして取引先と生産者仲間です。
あらゆる人に広く浅く好かれたいというよりは、飯尾醸造のお酢を本当に愛してくれる一部の人から猛烈にモテたい、という気持ちが強いです。
また、飯尾醸造の看板商品は「純米富士酢」というお酢で、「日本一のお酢をつくりたい」という初代の想いから生まれたものです。
「お酢はストックビジネスだ」と気づいたことが転機
飯尾醸造の品質を支える棚田
──事業承継をしていく過程で、変えたことと変えなかったことはありますか?
変えなかったのは品質です。
無農薬米でつくるという点は祖父の代からずっと変わらず、僕が入ってからはより高品質なものづくりを進めていきました。
変えたものがあるとすれば、ものづくりに関して、2枚目路線ではなく3枚目路線──いわゆる「ゆるさ」や「楽しさ」という点に方向転換したことですね。
今、ユーザーとメーカー間のボーダーがなくなっていると言われています。ですから「すごい老舗で近寄りがたい」という従来の雰囲気は現代に合わないと感じました。
お客様と一緒に田植えをするなどしてより身近に感じてもらえるようにし、「なんだかゆるいお酢屋がいるな」と印象づけていった点は、先代から大きく変わったことでしょうね。
約80名が参加した飯尾醸造の田植え体験会の筆者。5代目の彰浩氏が考案し、2007年から開催されている