組織のなかに「ギリギリとどまって」
手嶋:いま佐藤さんが触れた極小のメディカル・インテリジェンス機関は、ワシントンD.C.から自動車で1時間半ほどの場所にあるフォート・デトリック基地にひっそりと存在しています。まさしく"米国のウイルス・細菌戦の策源地"です。数ある諜報機関のなかでももっとも"知られざる"組織でしょう。ここに入り込むのは実に難しい。『武漢コンフィデンシャル』では、我らがマイケル・コリンズがここに籍を置いて活躍します。もっとも彼は骨休めにと思ったようですが。我が佐藤ラスプーチンだって行くところ大事件が起きるでしょう。まあ、悲しい性なんです(笑)。
佐藤:マイケルの人物像も面白い。『ウルトラ・ダラー』の主人公だったスマートでスポーティなスティーブン・ブラッドレーとは真逆で、ビールとハンバーガー、野球好きでメタボ体型の好人物です。
手嶋:イギリス秘密情報部SIS、通称MI6のスティーブンに対して、マイケル・コリンズはアメリカの小さなインテリジェンス機関を渡り歩く「情報機関の渡り鳥」。そもそもイギリスとアメリカの情報機関は、カズンズ──いとこ同士と呼ばれるほど近しい関係にありますが、両者の仕事ぶりや文化はずいぶんと違います。
老情報大国イギリスの古き良き遺伝子を受け継ぐスティーブン。一方のマイケルは"小さな情報機関の渡り鳥"。今度の作品を通じて、アメリアとイギリスの情報機関のありかたの違いについても知ってもらえたらと思って筆を執りました。
佐藤:オックスフォード大学で知り合った2人は組織の境界線上にいるという共通点がある。組織の枠をぎりぎり踏み越えずに、権限の範囲内で最大限にやれることを工夫する。これは、かつて某公共放送に勤務した手嶋さんを彷彿とさせますね。
手嶋:その言葉はロシア専門家の佐藤優さんにそっくりお返ししましょう。"モスクワにおける孤高のインテリジェンス・オフィサー"こそ、組織の極北を渡り歩いて機密情報をものにしてきたのですから。
佐藤:組織に属さないはみ出し者が主人公だと『007』のような夢物語になるか、ひねくれた人物像になってしまう。けれど、マイケルもスティーブンもそうではない。手嶋さんが手がけたインテリジェンス小説のひとつのミソが、組織から飛び出したはみ出し者ではなく、組織のなかにギリギリとどまっている人間を扱っていることを見逃してはいけない。
国家も必要だし、正義も大切ではある。でもそれをことさら強調するのではなく、行間にそれとなく滲ませている。手嶋さんが造形する小説ならではの世界です。
手嶋:国家や巨大組織に時に抗いながら、微妙なところで矩を超えず──与えられた役割は果たしながら、真の意味での国益は念頭に置いて行動する者にぼく自身もやはり魅力を感じてしまいます。