森鷗外の女性遍歴と「美貌の後妻」に元新聞記者の精神科医が考えること


“安楽死”未遂事件


──百日咳で体温が40度を超え、幻覚で蜘蛛が見えるほど悪化した茉莉は、不律の亡骸を安置した隣部屋に横たわっていた。医者から時間の問題といわれた志げは「直ったら三越へ行きましょうね」と声をかけたのも切なかった。この医者から「注射を一本すれば」(筆者註:モルヒネだろう)との暗示を、鷗外を通して持ち掛けられ、さらに一昼夜、むくんだ顔をゆがめる娘を見て、志げは言いかけた。

「パッパ。注射を、、、」。やがて鷗外は「まあ待て。もう少し待て」。



そこへ祖父(志げの父)がたまたま襖を開けた。「注射で楽にしてもらおう」と志げが伝えると、「馬鹿ツ。人間の寿命というものは分るものではない」と一喝され、“安楽死”は中止された。奇跡的に茉莉は回復した──(出典、「父の帽子」所収『蜘蛛』『注射』『半日』)

「半日」はその1年後、鷗外が別件で新聞記者から暴行を受けた事件直後に書かれた。“安楽死”未遂事件で「両親の間柄は微妙に変化し、のちの小説『高瀬舟』に結実した」と茉莉は書く。しかも、そのことすら鷗外はその7カ月後に小説「金毘羅」に書き込んだ。

茉莉はこうも記す。「『高瀬舟』の裏にあるのが、『博士』(=鷗外)の心の痛みと怒りであり、『半日』の中にあるものが、『博士』の一時的な興奮であった事は、人が知らない。」(同書)

志げの創作は「3年間で24作」


じつは鷗外は「半日」のほか、似た内容の「一夜」という小説も書いたが、それを志げに見とがめられて廃棄した経緯がある。ここに及んで鷗外は、世間に広まった悪女のイメージ転換とストレス発散のため、志げに小説を書くことを勧めた。

志げは、3年間で24作をものした。最初は鷗外の朱筆で真っ赤な原稿のまま出版社に持ち込んだが、明治末期で女流作家の少ない時代に、自分の感性に従い、夫や子との平穏な家庭生活を求める作品を量産した。


『森志げ全作品集』(2022年、嵯峨野書院刊)

志げは「舞姫」の主人公に憧れて嫁いだという。鷗外の声と態度に惚れ込んだ様子だ。その入れ込みぶりを子どもたちが活写している。

「母の父に対する愛はかえがたき人としての信頼と、恋人への愛着とを合わせた絶対のもの」(森於菟「父親としての森鷗外」)

「母は恋人のように父を愛し父を独占しようとする、烈しい気性のため周囲から憎まれて、ゐた」(森茉莉「晩年の母」)

鷗外は結核を病み腎臓が萎縮、60歳で生涯を閉じたが、晩年、ドイツ留学時代の相手エリーゼの写真や手紙類を志げに命じて眼前で焼却させたと、次女の杏奴は書き残している。(「晩年の父」岩波文庫)

エリーゼを含め、鷗外が関わった女性とのいきさつや創作ヒロインを『鷗外・五人の女と二人の妻』で論じた吉野俊彦氏は、「鷗外の女性遍歴あるいは家庭生活は、幸いなものでなかった」という一方、「複雑な女性遍歴を経たればこそ、鷗外の生活体験は広められ、珠玉のような多くの文学作品を執筆したのではないかとも考えられる」と結んでいる。

日ごろ、外来でもっと複雑だろうと思われる人たちを診ている医者として、うなずける部分と、そうですねえと言いたくなる部分とが混在する。読者諸賢にたずねてみたい。「鷗外と女性とは何だったのか」。

──そのためにも、まず鷗外を読んでほしい。

連載:記者のち精神科医が照らす「心/身」の境界
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文=小出将則

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