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2022.09.22 10:00

英王室と美術館から考える、「旧型」の意義と存続の条件


中野さんの文章を読み、ジョージ・ブライアン・ブランメルのような下位貴族にも及ばない平民出身のぼくも、新ラグジュアリーのロジック確立に向けて「がんばろう!」と思いました(笑)。

さて先月、日本に久しぶりに滞在しました。いろいろと地方都市を旅しましたが、その一つ、初めて訪れた倉敷の大原美術館では考えるべきことが多かったです。ここでの経験を話すのが、中野さんの文章へのコメントにもなるかと思います。

“最初の西洋美術館”を超えて


現在クラボウとも称される倉敷紡績の二代目社長、大原孫三郎(1880–1943)は1908年から足かけ3回、一歳下の画家・児島虎次郎(1881–1929)のフランス留学を支援します。同時に児島の絵画買い付けも援助します。児島は自身の判断で主に19世紀印象派以降の作品をギャラリーや画家から直接購入していきます。

1930年、児島が亡くなった翌年、孫三郎はそれらの作品を集めた日本で最初の西洋美術館をオープンしました。後継者の大原總一郎(1909–1968)は、西洋美術を学んだ日本人画家の絵画や民藝の陶磁器なども買い集め、コレクションの幅を広げていきます。 



一方、1900年代はじめの同時期、川崎造船所の社長、松方幸次郎(1865-1950)が欧州で集めたコレクション(松方コレクション)が国立西洋美術館のベースとなっています。そこから大原美術館は「最初の私立西洋美術館」と説明がされることが多いのですが、正直、長い間、この形容がぼくにとっての罠でした。 

日本の地方都市の美術館を訪ねる際、西洋近代絵画の所蔵を期待することはありません。展示されていれば見ます。とは言うものの、欧州に住み、西洋近代絵画の美術館や展覧会が頻繁にある環境にあって、日本で西洋絵画をみる時間をわざわざつくる理由がなかなか見つかりません。加えて、大原美術館でいえば「日本で最初の」という冠が、ぼくの意欲を逆に削いでいたのです。 

日本最初と言う場所やモノは沢山あります。ぼくの生まれ育った横浜は、それを飯のタネにしていた時代が長かったので、そのような定番の宣伝文句を目にすると「……で、今、それがどういう価値がある?」と斜に構える癖がついています。

今回、大原美術館の訪問で、ぼくの先入観は気持ちが良いほどにひっくり返りました。思ったことを表現すると以下です。太字で強調したいぐらいです。

日本で最初の西洋美術館という役目は20世紀に終わっただろう。しかし、21世紀のコンテクストにおいて光るものがある。それはコンテポラリーアートの新作をコレクションに加えていることを指していない。

19世紀から20世紀前半の西洋絵画、それらに影響を受けた日本人画家の作品、これら『純粋芸術志向』の潮流に対して用を足す陶芸に意味を見いだそうとした民藝の作品、これらの3つが一堂に会している大原美術館は、異文化の出逢いを立体的に見せてくれている。この立体感そのものに価値がある。

現在、グローバルアート市場とは違うロジックで動く、世界各国にある地方美術館やローカルのアーティストに多くの示唆を提供するに違いない。
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文=中野香織(前半)、安西洋之(後半)

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