俺が君を守ってやる…。12歳の少年に見る父性丨映画「スタンド・バイ・ミー」

映画「スタンド・バイ・ミー」より イラスト=大野左紀子

子どもが子どもでいるためには、親が親の機能を果たしてないとならない。では、親の機能とは何だろうか。

この連載では最初に、母性および母親的な役割を「子に惜しみない愛情をかけ慈しむもの」、父性および父親的な役割を「母子の充足した関係性に亀裂を入れ、子を社会に向けて押し出すもの」と述べた。

しかし、それらが十全に機能することは実際には稀だ。父の権力はしばしば過剰な抑圧となって子どもを蝕む。そんな家庭の少年たちの一夏を描いたのが、スティーヴン・キングの自伝的な原作を元にした『スタンド・バイ・ミー』(ロブ・ライナー監督、1986)である。

本作は「少年時代へのノスタルジーに満ちた青春映画の傑作」と紹介されることが多いが、この作品を覆っているのはまず「死」の影だ。

「死」は常に自らの生と背中合わせ


冒頭に登場するのは、大人になっている現在のゴードン・ラチャンス(リチャード・ドレイファス)の車の助手席に置かれた新聞紙面に踊る、「弁護士クリス・チェンバース刺殺される」の見出し。

次いで場面はゴーディの回想となって1959年のオレゴン州・キャッスルロックという小さな町に飛ぶ。12歳のゴーディ(ウィル・ウィートン)、同級生のクリス(リヴァー・フェニックス)、テディ(コリー・フェルドマン)が集まっているところに、バーン(ジェリー・オコンネル)が遅れてやって来て、兄たちの会話を盗み聞きして知った「行方不明の少年ブラワーの“死体”」の話をする。

またゴーディは、4カ月前に優しい兄デニーを事故で失って以降、父からフットボール選手で出来の良かったデニーと何かと比較されて、家では辛い思いをしている。

映画が始まってからここまで10分の間に、既にあちこちに死の匂いが立ち込めている。

「自分たちが死体の発見者になる」という思いつきに盛り上がった4人の少年たちのささやかな冒険を描くこのドラマでは、登場人物もそれぞれ死の危険に晒されている。

長い鉄橋を渡っている最中に汽車がやって来てしまい慌てふためくシーンは有名だが、その他にも、彼らの兄が属する不良グループの、路上での危険極まる肝試しのシーンが印象的だ。

冒険の道中、夜更けの森の中でコヨーテの声に怯えながら、4人がかわるがわる番をする場面も、彼らの中の死への恐怖を映し出している。

また、やっとブラワーの死体を発見した直後にやってきた不良グループのボスのエース(キーファー・サザーランド)に、「死体を渡せ」とナイフで脅される場面もそうだ。「殺してみろ」と開き直るクリスと彼を庇おうとピストルを構えるゴーディに、死の影は色濃くまとわりついている。

このように、彼らにとってこの2日間の夏の旅が、「死は他人事のようでありつつも、常に自らの生と背中合わせにある」という非常に得難い共通体験となったことが、さまざまなエピソードで語られていく(ちなみに映画のゴーディの回想では、成年後に不慮の死を遂げたのはクリスだけだが、原作ではテディとバーンも事故などで死亡しており、4人のうちで生き残ったのは語り手のゴーディ1人である)。
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文=大野左紀子

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