俺が君を守ってやる…。12歳の少年に見る父性丨映画「スタンド・バイ・ミー」


恐怖から守ってくれるのは「父」


こうした死の恐怖から少年を最終的に守ってくれるのは「父」だ。ただ、このドラマで描かれる父親、あるいは少年の目線を通じて現れる父親もまた、死に囚われている。

前述のようにゴーディの父は、お気に入りの長男デニーを失った落胆の中に留まっていて、父の愛と理解を求めている次男ゴーディに心を閉ざし、彼の「作家になりたい」という夢も無視している。

母も同様だが、父はよりゴーディに厳しい。ゴーディは、父が自分に向かって「デニーと替わっていれば良かった」と呟く悪夢を見るほど、父の冷たい態度に苦しみ自己否定にまで陥っている。

繊細な外見に似合わず、彼が時折見せる”悪知恵”やシニカルな態度は、父との間の深い溝から生まれた鬱屈の反動であり、仲間たちに聞かせるお話「パイ食い競争」の破壊的な結末は、物語を創作する知性を表すと同時に、家庭での孤独による幼い復讐心の現れと取れるだろう。

大きな黒縁眼鏡のテディは、4人の中でもっとも向こう見ずで喧嘩っ早く粗野な少年。彼も、言葉の端々から父親の影が深く感じられる。父が「ノルマンディー上陸作戦で戦った」ことを何度も誇らしそうに口するが、実は死に直面したことによって精神を病んでしまったらしい父に、家庭内暴力を受けてもいる。それなのに、彼は父のように将来軍隊に入りたいと望んでいるのだ。

危険な長い鉄橋を「歩いて渡る」と言い張るのもテディだ。闇雲に勇気を誇示しようとするのはこの年代の少年によく見られることだが、死の危険に飛び込みたがるテディの態度は、彼の背景事情がわかるに従って痛々しさを伴って見えてくる。

「父さんに嫌われている」というゴーディの思いが内にこもった破壊欲になっているとすれば、「父さんみたいになるんだ」というテディの思いは暴力的に外に向かっていると言えるだろう。

父が息子の心理に特に強い影を落としているゴーディとテディの他にも、クリスの父はアル中であり、彼とバーンの兄は不良グループに属している。つまりこの4人は年長の男に従属せねばならない抑圧を、何らかのかたちで抱え込んでいるのだ。

クリス少年にみる「父性」


いずれの少年の父も、息子にとって頼り甲斐のある良き父として機能している形跡はない。そんな少年たちの間で、健気にも1人だけ父親的役割を果たそうとしているのが、クリスである。

最初の登場場面から、くすねてきたタバコをスパスパ吸い、死体探しの冒険に際しては父親のピストルを護身用に持ち出し、年長の不良グループにも反抗的な態度を崩さないクリスだが、4人の間ではたびたび大人な態度を取っている。

蛮勇を見せたいあまり汽車の迫る線路に立つテディを抱えて全力で脇に押し退け、叱りつける。けれどもちゃんと握手を求め、笑顔で相手の肩を軽く叩く。クズ鉄置き場の主人に父を侮辱されて凄まじくキレたテディをやはり押しとどめ、なだめながら肩を組む場面も。

ゴーディがクリスにだけ吐露した父との間の悩みを受け止め、「自分を落とすな」と鼓舞し、最後に言うのは「君は子どもだ。君の親が守らないなら俺が君を守ってやる」。いやお前だって子どもだぞ?と突っ込みたいところだが、クリスはいたって真剣だ。

ブラワーの死体に遭遇した時は、兄の死が蘇ってトラウマで身動きできないでいるゴーディに寄り添い、懸命に励ます。涙にくれながら力なく自分にもたれかかった親友の細い肩をしっかりと抱いているクリスから発散されているのは、紛れもない父性である。
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文=大野左紀子

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