アートと経済社会を考える。AIやテクノロジーが感じられない価値観とは?

齋藤潤一、若佐慎一(右)


また、表現は自由だというじゃないですか。たしかに自由なのかもしれないけど、表現した作品をアウトプットする先、社会に届ける形が不自由なところがあるなと思っていました。絵を描いたらそれで表現としては終わりっていう人が多かったりするんですが、僕は自分が表現したものを社会にどう届けるかにも大きく興味がある。

ギャラリーで並べて見てもらうだけの活動だと、社会に届ける、認知してもらう、という表現においてとても重要な要素を他人に任せる事になってしまいますよね。それこそ自由な表現にはなっていないと思います。

あとは、中学・高校、もしかしたらずっと幼少期から、目の前にある決められた形に入るのがすごく嫌だったというのもあり、そういったものも動機のひとつですね。



──龍や鳳凰、獅子や虎などの幻獣を題材にしている若佐さんの作品の中でも、特に招き猫をイメージさせる猫をモチーフにした作品が印象的です。自分が表現したものを社会にどう届けるかという動機から、なぜ、猫を描こうと考えたんですか?

自分にしかできない表現を考える際に、先ず、自分のしたいことや、興味があるところ、更には自分のアイデンティティについて考えないといけないと思うんです。

自分は絵を始めた頃から漠然と「日本」というものに興味があったんです。僕自身、絵を描くことで日本文化を表現したいという思いが根底にあるので、昔からあって今も受け継がれている招き猫をモチーフにしました。

先ほども言ったように、人間は環境の産物なので、自分が生まれ育った日本のカタチに目を向け、それをテーマの1つにする事で、アイデンティティと自分の表現につながる気付きを得られると思ったんです。

──テクノロジーの進化により、時間や場所にとらわれず共有できるようになった一方で、人間の五感を使い、その場にいる人のみが感じられるリアルな情報空間の価値も等しく高まっています。アートを通じて、テクノロジーやAIでは伝わらない人間の「情動」こそが本質的な価値になってくると感じました。

時間を越えて大体100年ぐらい残ると、その時代にとって意味があるものだと言われています。時の流れのなかでもそのカタチを失わないところに、何かしらの普遍的な意味があると。

「いま」は過去の積み重ねによってつくられてます。連続する時のなかで、自分が何を残せるか。そして、それはどう未来につながっていけるか。人生をかけてチャレンジし続けたいと思っています。

連載:地域経済とソーシャルイノベーション
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文=齋藤潤一

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