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2022.06.28

奈良を日本の「音楽の都」に 反田恭平が描く日本クラシック界の未来

ピアニストの反田恭平


──クラシックに親しむ人を増やしたいという思いとともに、後進育成にも力を入れているのですね。

そうですね。僕は、将来的に奈良に音楽院をつくりたいと思っています。つくるだけで終わりではなくて、卒業生が国際的なコンクールで賞を取ってソリストとして認められたら、僕の夢は果たされます。

実はJNOをつくったのも、音楽院に専属のオーケストラが必要だと思ったからなんです。ソリストとして生き残るためにコンチェルトはマストです。僕も何百回も弾いていますし、経験者にしかわからないレッスンの仕方やポイントがあります。

ソリストの育成を考える上で最も近い道はコンチェルトの教育だと思うので、学院が専属のオーケストラを持つことは必要だというのが僕の考えです。

音楽院は2016年くらいからずっと温めていた夢で、当時は30年後の2045年くらいにつくりたいと思っていました。ただ、DMG森精機の社長に「30年も待てない。10年でやってくれ」と言われたので、少し早めることになると思います。

──奈良を「音楽の都」にする?

奈良は、東京や大阪、京都などの大都市と比較して、音楽文化が栄えていません。それでも47都道府県中でピアノ所有率が最も高い県なんです。音楽的には未来のある街です。

JNOが奈良で支持されるオーケストラになり、奈良から世界に誇れる存在になることが、僕らの当面の目標です。ヨーロッパではオーストリアのウィーンが「音楽の都」と呼ばれていますが、日本では奈良を「音楽の都」にできるように尽力していきたいです。

すでに県知事や市長にも支持をいただいていて、今年に入って県とは包括連携協定を結び、市とは魅力発信パートナー宣言をしています。

──個人的な展望は。

僕がピアノを弾いているのは指揮者になりたいから。その思いは今もあります。実は、ショパンコンクールで結果が出なかったらピアノは一線を退こうと思っていました。幸い結果が出て、たくさんの人が僕のピアノを聞きたいと言ってくれているので、もう少し頑張ります。聞きたいと思う人がいる限りは弾いていきたい。

指揮の勉強は本当にイロハのイからはじめているので、もう少しすれば自分に指揮者の才能があるのかどうかもわかると思います。もし指揮でも通用するとなれば指揮4割、ピアノ6割くらいの比重でできれば理想でしょうか?

僕にとって指揮は「仕事」、ピアノは「遊び」という感覚なんです。なので、あまり仕事仕事で追い詰めたくない。楽しい気持ちで音楽に関わって生涯を送ることができればと思っています。

文=尾田健太郎 取材・編集=田中友梨 撮影=小田光二 取材協力=BMW Group Japan

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