ウクライナ侵攻で始まった戦後秩序崩壊 G7と日本は新秩序を作れるのか

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日本のメディアはこうした機会があるごとに、「日本の存在感が問われる」と散々書き立ててきた。実際、そんなことが可能だろうか。1975年、フランス・ランブイエで第1回サミットが開かれた。当時、サミットに出席する三木武夫首相を羽田空港で見送った元政府高官は「敗戦国だったわが国が、世界の一流国家に肩を並べたということで、皆興奮していた。会議で何を主張するかは二の次だった」と語る。そしてG7サミットに参加したことがある外務省の元幹部は「日本は、体の良いキャッシュディスペンサーだった。G7サミットが威勢の良い共同声明を出す際、いつも財源として頼りにされてきた。ただ、日本の経済力が低下するにつれ、存在感も薄れていった」とも語る。

24日にG7サミットが開かれるブリュッセルでは、14年6月にもサミットが開かれた。この年はロシアのソチが会場になる予定だったが、同年2月末から3月にかけて起きたクリミア侵攻によってG8のメンバーから外され、急きょブリュッセルにおはちが回ってきた。このサミットでは日本が珍しく存在感を示した。

当時の関係者らによれば、米国のオバマ政権は激しくいら立っていた。首脳会議直前には、サミットの共同声明案として、ロシアに厳しい経済制裁を科すペーパーをメンバー国に配布したが、仏独などが「調整不足だ」と難色を示したため、ペーパーは回収された。首脳会議でも、オバマ大統領が早速、「ロシアに厳しい経済制裁を科すべきだ」と口火を切った。ところが、フランスのオランド大統領やドイツのメルケル首相らが抵抗し、議論が膠着状態に陥った。議論が1時間近く続いたところで、安倍晋三首相が「あなたたちが言いたいことは、こういうことだろう」と指摘して、ロシアの行為を非難するなどした首脳宣言につながったという。関係者は「安倍首相の機転を利かせた対応があった」と評価する。同時に、オバマ政権の事前の調整不足や、ロシアとの関係に未練を残す独仏両国の思惑などから、日本に仲裁役が回ってくる僥倖が生まれたとも言える。

ただ、今回のロシアのウクライナ侵攻ではすでに、欧州各国は独自にウクライナに軍事支援をしているほか、ドイツも国防費を国内総生産費(GDP)比2%に引き上げる方針を決めた。14年当時に比べ、米国と欧州の距離は相当縮まっており、岸田首相が独自の存在感を示すのは難しいかもしれない。

今後、G7は新しい国際秩序のコアになるため、メンバーの拡大を図るだろう。英国・コーンウォールで昨年、開かれたG7サミットには、豪州、インド、韓国の首脳も招待された。日本政府関係者は「国連安保理のように、いざという時に動かない仕組みでは意味がない。今のG20の枠組みは使えない。自由民主主義国家を仲間に入れていくことになるだろう」と語る。メンバーの拡大は自由主義陣営の勝利に欠かせないが、日本は代わりに「独自の存在感」を明け渡すことになるかもしれない。

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文=牧野愛博

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