今回ワークショップはオンラインホワイトボード「miro」を使用し行った。各自がアイデアを付箋に記し、グルーピングしたり図形で表したりすることが可能で、効率的に議論を深めていくことができた。
「もしも、脳神経に直接演奏者の感情を伝達できるようになったら、ライブはどう変わるのか?」「もしも、意見の違う他者と感覚を共有するために音楽が使われたら?」「もしも、自分の感動が自分だけのものではなくなったら?」といったさまざまな「もしも」のアイデアが交わされる。
感性を共有することで広がるポジティブな未来としては、「感性が流通し、好きなアーティストの感性を購入できる世界が生まれる」「遠いライブハウス会場の中の誰かになって、音楽と雰囲気をリアルに体験できるようになる」といった予測が生まれた。対して、感性のオリジナリティやプライバシーの懸念も浮かび上がる。「感性を共有できる世界では、己の感性を守る手段が重要になり『感性リテラシー』が叫ばれる」「共有してほしくない感性や感動があるかもしれない」。
こうしてSTEP1で立てた問いが「感性はどのように共有されるべきか」というイシューとなり、ストーリーの舞台設定として具体性を増していった。発展したアイデアをもとに、newQにてストーリーの制作を行った。
STEP3では、ストーリーのあらすじと冒頭部分を読み、続きを考えることで、未来の仮説に対する理解を深める「レビューワークショップ」を行った。ストーリーに内在する価値観の相違を、「もし自分が登場人物であったらどう感じるか」と具体的に考えることで未来の姿をよりリアルに考えることができる。
感想を共有していくなかで、「侵襲型のBMI技術が普及し、他者との間で、感情がシームレスにつながった世界が訪れるかもしれない」との発言が注目を集めた。音楽が人々の孤独を癒やす一方で、悪意のある組織が自分たちの都合のいいように他者の感情を操作するような「共感犯罪」が起こる可能性も考えられ、あって欲しい世界とあって欲しくない世界の両面が想像されていく。
徐々にテーマは「共感の功罪」へとシフトし、「音楽において、共感を突き詰めていくべきなのか?」という問いも共有された。そこで共感を推し進める立場と共感と距離をとることも重要だとする立場に分かれて議論が行われた。「ヤマハの企業理念『感動を・ともに・創る』にあるように、『ともに』、つまり民主的に感性を共有するべきで、感性を共有『させる』ような一方的な共感のあり方には問題があるのではないか」という発言があり、感性を共有する際には公正さが重要だという気づきが生まれた。
議論は音楽の価値そのものにも及び、「感情が直接共有できるようになった世界で、音楽に何の価値があるのか?」という問いも。「直接感情を伝達できるなら、間接的な伝達しかできない音楽の価値はなくなるのか?」という疑問に対し、「演奏者が音楽をつくる過程で音楽と対話することで、感情が生まれるはず」という答えがなされ、「演奏者と音楽、聴衆は相互作用することで新しい感情を生み続ける。音楽の価値はなくならず、いっそう音楽の価値が際立つのではないか」とオルタナティブな音楽と感情共有の未来が示唆された。