特性1:古きものと新しきものを併用し使いこなす文化
「アワセとソロイ」は、古きものを新しきもので刷新するのではなく、古きものと新しきものを併用し活用を生み出すという姿勢です。もっとも身近な例で言えば、われわれ日本人は、日本語を表す文字を中国大陸から輸入した漢字で表すだけに留まらず、漢字に音読みをふり、ひらがなやカタカナを生み出し、さらに西洋から持ち込んだアルファベットすら組み合わせ、文章をしたためます。
一般に文字と言語は一対であることが多いのに日本では4つの文字を使いわけているわけです。日本の隣国でありながらハングル文字の普及とともに漢字を使う機会を減らしていった韓国とは対照的な現象と言えるでしょう。
また、鎌倉幕府を開いた源頼朝は、天皇を駆逐するだけの武力を持っていたにも関わらず、律令制の二官八省を温存し立場上は天皇の家臣となることで、当時の権力者や民衆から受け入れられ実質的な権力を握ることに成功しました。中国の易姓革命のように天皇に変わるのではなく、天皇と将軍を併存させたのは、まさに「アワセとソロイ」を体現したものと言えます。
特性2:中枢を空洞化しその面影を追うハイコンテクスト文化
一方「オモカゲとウツロイ」は、鎌倉時代に編纂された新古今和歌集において藤原定家が詠んだ有名な和歌「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮」に見られるように、「花も紅葉もなかりけり」という不在から満開の桜と紅葉の存在を想起するような繊細な感覚によく表れております。それが転じて、海部首相時代「一介の総理が官僚の書いた文章を読み間違うとは何事か」と批難されたことにみるように、首相や社長のような権力の中枢にあるものを面影のようにそらんじ、実体を持つ実務方がその面影を忖度しながら運営する現状の日本型組織運営を形作っていると考えられます。
特性3:自然を畏れ尊ぶ気持ちが生んだ労働に関する価値観
さらに「シゼンとキンベン」は、自然崇拝に基づく宗教観と人生観を指します。日本の自然は人々に豊かな恵をもたらす一方、台風や地震など人間の暮らしを脅かしてきました。その両面を持つ自然との対峙から、「自然は変化するもの、人間は受け入れるもの」という受動性を生み出し、また「自然」は常に正しく「不自然」は社会悪を意味する日本独自の価値観を形成しました。
その価値観は日本人の学ぶ姿勢にも影響し、自然を守り本来の自分を磨くために自己研鑽に励む、という考え方につながっていきます。さらに江戸時代の禅宗の僧侶、鈴木正三は、すべての労働は自分を磨くために行うべきと「所業即仏業なり」を唱えました。後の石田梅岩が提唱した結果利潤論と合わせて、「仕事は人格形成のための修行であり、人格が立派であれば生産活動に勤勉である」という労働に関する価値観や、ときに過剰品質を生むまでのものづくりへのこだわりに発展したと考えられています。