父親はドイツへ。オードリー・タンの不登校が招いた「家庭戦争」の終息

提供:唐光華/オードリー・タン


恩師たちとの出会い


父親がドイツへ旅立った後、母親は義父母たちと同居していた場所から住まいを新たに移し、オードリーの心を立て直すため、新しい学校を探すなどして過ごした。オードリーの状況は少しずつ快方に向かい、言葉から破壊力が薄れたのを感じた母親は、少しずつ義父母のところへ子どもを連れて会いに行くようになった。

そして母親は一人、また一人とオードリーにとっての恩師を探し出していく。

そのようにして出会った一人の教師と話していた時のことだ。

その教師は不登校になったオードリーを気にかけ、何度も自宅を訪問してくれていた。教師を見送る際に申し訳なくなった母親が「あの子はどうしてこうなってしまったのでしょう」とこぼすと、教師は「あなたのような母親を持ったから、お子さんはこういった問題に挑戦できるんですよ」と言って立ち去った。

母親はまるで啓発を受けたかのようにその場に立ち尽くすと、「私は子どもにどうなってほしいのだろう?」と自らに問い始めた。教育システムの中で優等生として育ってきた母親は、それまで「なぜ子どもたちは学校に行かなければならないのか」といった、学校の存在意義について、特に考えたことがなかったという。

「この時、突然自分の中にある貪欲な心と、その矛盾に気が付いた。私が心の中で求めているような子どもは、この世に存在せず、自分でもなることのできない『聖人』だ。そう思った途端に考えがはっきりし、身も心も明るくなった。もう、どんな子どもになってほしいかなど考えない。私は子どもがしっかりと生きていてくれたらそれで良い、ありのままで良いじゃないか!」──この時をきっかけに、母親は大学のカウンセリング学科の教授や、ギフテッド教育の研究で知られる大学教授らと巡り会い、「世界と絶交」していたオードリーの心を癒していく。

オードリーの人に対する警戒心を解き、仲間から受け入れてもらうこと、知識の探求、想像力の広がり、感情のケアなどといった大きなニーズを「同時に」満たすことが必要だと、教授らは教えてくれた。そして、そのために必要な支援を惜しみなく与えてくれもした。

教授らに紹介してもらって転校した先の学校では、四年生から六年生に飛び級し、一週間のうち三日間だけ登校してクラスメイトたちとの友情を深めれば良く、それ以外は大学教授のもとを訪れて知識学習を満たしても良いといった形で配慮してもらえることになった。

「ついに明るい笑顔が見られるようになった」──生き返ったように自分を取り戻したオードリーは、この頃から詩を書くようになった。そして母親は、「家庭戦争」の終息に幸せを感じるとともに、我が子を自殺を考えるほど追い詰め、またそこから命を救ってくれたのも教育であることに気が付き、台湾の教育を改革するという道を歩み始める。
次ページ > 父親との和解

文=近藤弥生子

ForbesBrandVoice

人気記事