(前編:オードリー・タンの母親が語った、ギフテッドの子供と「学校恐怖症」)
打つ手なしに見えた「家庭戦争」
母親はこう記している。
「その期間の私は、母親である以外、自分が人の妻であること、義理の娘であることを完全に忘れていた」
異なる環境や文化で育った二人が、子どもの教育という正解のない問題にぶつかった時、そして子どもの生命が危機にさらされている時、私たちはどうしたら良いのだろうか。こんな打つ手なしに見える状況を切り抜け、後に台湾の教育改革を行った母親の行動力には驚くばかりだ。
オードリーは、当時を振り返ってこう話してくれた。
「当時の教師は、『レジリエンスを育てなければならない』と言いました。悪い状況になっても、自らで克服する力のことです。また、台湾には『苦労を糧にする』ということわざもあります。ですが、耐性をつけるために我慢することと、その苦しみの奴隷になることは、非常に区別が付けづらいのです。『学習性無力感』といって、何もできることがないのだという感覚を一度抱いてしまうと、いざ世界の不公平なことを変えられるチャンスが訪れても、籠に長い間閉じ込められた鳥が飛び立てなくなってしまうように、何もできなくなってしまう。
この時の私は、その極限を超えていました。筋肉を鍛えすぎると怪我をして、靭帯や骨を損傷すると一生回復するのが難しくなるように、当時の学校の状況は、私の極限を超えていたのです」