オードリー・タンの母親が語った、ギフテッドの子供と「学校恐怖症」

提供:唐光華/オードリー・タン

コロナ禍で活躍が注目される台湾のデジタル担当大臣オードリー・タン。今でこそ台湾の民主を象徴する存在の彼女だが、突出した才能を持つギフテッドであるがために、幼少期には主流の教育システムと相入れず、不登校になったことがある。オードリーの不登校によって引き起こされた「家庭戦争」と、そこからの和解までを母親が綴った手記には、現代を生きる家族たちが見出せるヒントがあった。

主流の教育システムとの衝突


オードリーの両親は、大学院在学中から大手新聞社で記者として頭角を現し、役職に就くなど台湾では名の知れたジャーナリストだった。

オードリーが小学二年生頃から休学したのをきっかけにそのキャリアを断ち、自宅での学習に付き添った母親の李雅卿(リー・ヤーチン)は、今から24年前の1997年、二人のギフテッドを育て、自らオルタナティブ教育を実践する小学校を創立した様子を綴った手記『成長戦争』を出版。手記ではあるが、「天才を育てるためのメソッド」といった類の話は一切書かれておらず、多方面から共感を呼ぶ、唐家の「物語」が描かれた。台湾でベストセラーとなる大反響だったが、現在は絶版となっている。


行政院のオードリーさんのオフィスで『成長戦争』を手に持っていただいた写真(近藤撮影)

1981年に生まれたオードリーは、生後8カ月で言葉を話し始め、一歳半で歌の歌詞をすべて覚えて歌ってしまうほど記憶力が優れていたなど、幼少期からその賢さを発揮していたという。

雲行きが怪しくなり始めたのは、オードリーが幼稚園に入ってからのことだった。おやつもお昼寝も、何をするにも「みんなと一緒」の生活を嫌がり、幼稚園に行きたがらなくなった。母親は「これも社会の中における教育」だと、幼稚園に行くよう励ましていたが、後に書かれた『成長戦争』には「今考えると、本当に申し訳ないことをした。当時は、ただ団体での行動をや生活を教えることしか考えず、子どもが必要とする教育は一人ひとり違うのだということに気づけなかった」と記されている。

それでも、幼稚園まではまだ良かった。義務教育下にある小学校に入学してからが大変だったのだ。

知識欲の強いオードリーは、授業中に進度を遥かに上回る質問をして、担当教師らを困らせていた。算数で「1+1=2」と教えても、「二進数だった場合は、その限りではありません」と発言するといった調子だ。教師は母親に「小学一年生で教えるのは正数と決まっているのに、負の概念を持ち込まれるととても困るんです」と苦情を訴えた。結果的に、算数の授業の時間になるとオードリーは一人で図書館に行き、本を読むことになった。

学校で満たされないオードリーは、両親が仕事で不在の時間、自宅で祖母にあらゆる問題を訊いては困らせていた。戦時中で教育の機会を奪われて育った祖母が「太陽の黒点」を知らないことに腹を立て、「おばあちゃんは何を訊いても分からない!」と文句を言うといった様子だ。

さらにオードリーの知識欲は高まる一方で、はじめのうちは夫婦でなんとか答えていたが、それでもだんだん手に負えなくなっていった。夫婦ともに忙しいので、かまってあげることができない。何処どこの何を見に行きたいと言われても、「今度連れて行くね」と言うことしかできなかった。不満を募らせたオードリーは、弟と一緒に母親を家に戻そうと企み始めた。毎朝母親が出勤するために家を出る時に金輪際の別れのように泣きじゃくったり、母親が会社に着く時間を見計らって電話をかけてくるようになった。

「私たちはまず家庭教師を付けたが、それでもだめだった。私は夫に『私たちのどちらかが家にいて子どもを見るしかなさそうね』と言うしかなくなった。誰が家にいることにするかを投票で決める家族会議が開かれ、私に3票が入り、夫は自分に1票入れた」
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文=近藤弥生子

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